今月の標語 2011年

2011年 「12月の標語」

すべてのものは養いによって存し
養いがなければ存することを得ない
眼は睡眠をもって栄養となし
耳は声をもって栄養となし
鼻は香をもって栄養となし
舌は味をもって栄養となす
わたしが説くところの涅槃にもまた栄養がある

――― 漢訳 増一阿含経 31,5

ある時、ブッダが、いつものように祇園精舎で説法をなさっていた時のことです。その席上で、比丘のひとりアヌルダ(阿那律)が人々の中で居ねむりをしました。ブッダはアヌルダが坐睡しているのを見て、以下のような偈を説かれました。
「法を受けて快くねむり
心に錯乱あることなし      
賢聖の説くところの法は
これ智者の楽しむところ
なお深き淵の水のごとく
清澄にして穢れあることなし。
かくのごとき法を聞く者は
その心、清浄にして楽しみを受く
また大いなる方形の石のごとく
風のよく動かすあたわざるところ
されば、謗られるも誉めらるるも
心は、ために傾き動くことなし。」

やがて、説法が終わった後、ブッダはアヌルダにこうおっしゃいました。
「汝は、王の法律を恐れ、もしくは盗賊を恐れて、この道に到ったのですか。」
「いいえ」
「では、汝は、何故、出家してこの道を学ぶのでしょうか。」
「この人の世の迷いと悩みとを厭い、これを捨離せんがために、そのゆえに、出家し、道を学ぼうとしたのです。」
「アヌルダよ、汝は良家の子であって、そのように道を求める心、堅固にして、出家したのです。それなのに、今日、私が法を説いていた時に、人々の中において坐睡したのはどうしたことなのですか。」
 その時、アヌルダは、すっと座を起って、姿勢を整え、胸に手を組みあわせ、ひれふしてブッダを拝し、このように申しました。
「世尊よ、今日より以後、アヌルダは、たとい、わが身体がただれようとも、またわが四肢が溶けようとも、決して、如来の前にあって坐睡するようなことはいたしません。」
  その時より、アヌルダは、暁にいたるも眠らぬという日々を送り、ついに眼を病むにいたりました。ブッダは、それを知って誡めておっしゃいました。
「アヌルダよ、刻苦に過ぎるのは善きことではない。懈怠は避けねばならぬが、刻苦に過ぎるのもまた避けねばならぬ。汝は、その中道におらねばならぬ。」
  しかしアヌルダは、ブッダの前で申しました。
「世尊よ、わたしはすでに如来の前において誓いを立てました。いま私は、その誓いの心にたがうことはできません。」
  そこでブッダは、名医ジヴァカに、アヌルダの眼を治療してほしいと依頼しました。ジヴァカはアヌルダの眼を診察して、ブッダに報告して申しました。
「世尊よ、もし彼がすこしでも眠るならば、わたしは彼の眼を治すことができるのですが。」
  そこでブッダは、またアヌルダに訓しておっしゃいました。
「アヌルダよ、汝は眠らなければいけない。何故ならば、すべてのものは養いによって存し、養いがなければ存することを得ない。眼は睡眠をもって栄養となし、耳は声をもって栄養となし、鼻は香をもって栄養となし、舌は味をもって栄養となす。わたしが説くところの涅槃にもまた栄養がある。」
 「世尊よ、では、涅槃は何をもって栄養となすでしょうか。」
 「アヌルダよ、涅槃は不放逸をもって栄養となす。不放逸によって、人はよく涅槃にいたることができる。」
  だが、アヌルダは、なおブッダにこのように申しました。
 「世尊よ、眼は睡眠をもって栄養となすといえども、しかもなお、わたしは睡眠をとるに堪えません。」
  そして、アヌルダの眼は、ついにつぶれてしまいました。しかし、彼の肉眼は視力を失ったのですが、その時、彼の心眼が開けたのです。

ある時、アヌルダは、衣のほころびを縫おうとしていました。でも、眼を失った彼は、針の穴に糸を通すことができませんでした。彼は心の中で、―――もろもろの得道の聖者の中に、誰か私の為に、針の穴に糸を通してくれる者はいないだろうか―――と念じました。ブッダがそれをお知りになって、アヌルダのところに行き、彼におっしゃいました。
「アヌルダよ、さあ、わたしがそれを通してあげよう。」
アヌルダは驚いて申しました。
「世尊よ、今わたしが心の中で考えていたことは、誰かこの世間の聖者で、福(さいわい)を求めたいと欲する者が、私の為に、針の穴に糸を通してくれないだろうか、ということでした。」
「アヌルダよ、世間の福を求める人の中で、私より過ぎる者はいないであろう。」

それを聞いてアヌルダは、ブッダに問うて言いました。
「世尊よ、如来の身はすでに真法の身でいらっしゃいます。さらに何を求める事がありましょうか。如来はすでに生死の海を渡り、愛着を脱しておられます。しかるに、今また何のために福の道を求めん、となさるのでしょうか。」

ブッダは答えてこのようにおっしゃいました。
「アヌルダよ、如来は、六法において厭きて足ることなし、ということを知っていますか。
その六とはなんでしょうか。一には施である。二には教え戒めることである。三には忍。四には法を説き、義を説くこと。五には衆生を愛護すること。六には、上なき正真の道を求めること。アヌルダよ、これを如来は六法において厭きて足ることなし、というのである。」
即ち、如来(ブッダ=覚者)は常に、施すこと、教え戒めること、忍ぶこと、法を説き、義を説くこと、衆生を愛護すること、最上の正真の道を求めることを誓願とし、すでに悟ったからと言って、以上の六つの徳目を実践することを怠ることがない、ということです。

そしてブッダは、さらに偈を以って、以下のように教えられました。

この世にあるさまざまの力のうち、
福(さいわい)の力こそ最も勝れている。
天界にも人界にもこれに勝るものはない。
この福(さいわい)に由って仏の道を成ずる。

そしてこの六法を実践することとその成就を願う力が、最上の福(さいわい)となるとおっしゃっているのです。

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この「天眼第一阿那律尊者」についての逸話は昨年にも一度取り上げましたが、今回は別の角度からご紹介致します。

トップページに「…わたしが説くところの涅槃にもまた栄養がある。」と紹介しましたが、経文中にはこれに続いて、「涅槃は不放逸をもって栄養となす。不放逸によって、人はよく涅槃にいたることができる。」とお説きになっておられます。
逆の言い方をしますと、不放逸ということなくしては涅槃に至ることはできないということでもあるように思います。

当初は大変な勢いで通い始めた参禅者の方たちが、どんどん脱落していく有様を見ておりますと、やはり、この不放逸ということは、並大抵のことではないと、日々実感しております。

そしてさらにもう一言付け加えるとするならば、お釈迦様は、「福(さいわい)によって仏の道を成ずる」のだとおっしゃっています。日々の怠らない修行を継続させて頂けることが、最上の福と受け止められる位までは続けないと、本当に本物の修行は始まらないように思います。

2011年 「11月の標語」

先には放逸であったけれども
後には放逸ではなくなった者
その人は雲を離れた月のごとく
この世を照らすであろう
人が もし 善でもって 
そのなした悪業を覆い尽くせば
彼は この世を照らすこと
雲を離れた月のようであろう

――― 南伝 中部経典 86 鴦掘魔経

ある時、ブッダがいつものように、祇園精舎にいらっしゃったときのことです。
その当時、コ−サラ国にアングリマーラ(鴦掘魔―指鬘外道)といわれた兇賊がおりました。
アングリマーラはコーサラ国の貴族階級の子に生まれ、大変に優秀な青年であったと言われます。彼は、バラモンの師に付いて、長い間、熱心に学んだのですが、ある時、師の留守中に、師の若い妻に誘惑され、それを拒絶して逃げ帰ります。
恥をかいたバラモンの妻は自分で衣類を引き裂き、身体に傷をつけ、夫にアングリマーラに犯されかかり、こんな目に遭ったと泣いて訴えました。
バラモンの師は嫉妬に狂い、アングリマーラに復讐しようと考え、ある日、アングリマーラを呼び出し、こう言いました。
「もはやお前には、すべての学問も修行の方法も教え尽くした。最後に果たさなければならない修行が一つ残っている。それは百人の人間を殺して、指を一本ずつ証拠に切り取り、百の指をつないで首飾りをつくれば、お前の行は完成するのだ」そう言って、刀を渡しました。
アングリマーラは驚き逡巡しましたが、師の命令だからと、それから毎晩町へ出て、指狩りをはじめました。残忍極まりないやり方でしたので、近辺の村々は人がいなくなり、さびれていきました。
ある日のこと、托鉢が終わるとブッダは弟子たちの止めるのも聞かず、ひとりアングリマーラの住んでいる林へと向かっていきました。
アングリマーラはブッダがはるかに近づいてくるのをみて、木陰に身をかくし、いったんブッダをやりすごし、後から剣を手にとり尾行しましたが、ブッダの足は速く、彼が後を追いかけても、ゆっくり歩いているように見えるブッダに追いつくことができませんでした。
  彼はたまらず立ち止まり、「沙門よ、止まれ」と叫びました。すると、「私は止まっている。アングリマーラよ、そなたこそ止まれ。」というので、不思議に思い、「なぜあなたは歩いているのに停止しているといい、私は停止しているのに、止まれというのですか。」と聞き返すと、
 「私は生類に対して害心を捨てているから停止しているというのだ。しかしそなたは生類に対して、いまだに害心を持っているから、停止していないというのです。」と、ブッダは答えました。
その言葉を聞いた途端、彼は心の底から目の覚める思いがし、持っていた刀を崖に投げすて、目前に毅然として立つブッダに、思わず膝まづき、礼拝して、出家させて頂きたいと懇願しました。そして、彼はブッダの後にしたがって、祇園精舎の林へと入っていきました。
  出家して比丘となったアングリマーラは、毎日、鉢をもち托鉢に出かけました。行乞をしている比丘が兇賊アングリマーラだと知ると、憎しみを持っている人たちは、土塊や小石を投げて追い払おうとしました。ある時は棒を投げられ、ある時は石が彼の頭にあたり、血を流し、鉢を壊され、衣を破られることもしばしばでした。
 その姿をご覧になって、ブッダはこのようにおっしゃいました。
「比丘よ、忍受するのだ。そなたの今まで犯してきた行いは、幾百年、幾千年の間、苦しみの世界に生まれかわり、その責を果たさねばならないのに、この世においてその責務を果たせると信じ、忍受しなさい」
アングリマーラは、目に涙を浮かべ、彼の口から独り言が漏れました。
「先には放逸であったけれども、後には放逸ではなくなった者、その人は雲を離れた月のごとく、この世を照らすであろう。
人が、もし、善でもって、そのなした悪業を覆い尽くせば、彼は、この世を照らすこと、雲を離れた月のようであろう。
先には、わたしは兇賊であって、アングリマーラとして、知られた。今や大いなる瀑流に流され、ブッダに帰依するものとなった。以前はわが手は血にそまり、指の首飾りをもつ者といわれたが、今はブッダに帰依し、真実の名を得た。我は何人も害しないであろう。」

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  このアングリマーラのお話は、既に様々な形で伝えられております。また元の形はさらに長文ですので、他にもよく知られたエピソードを含んでおり、ご存知の方も沢山いらっしゃると思います。
それまでにどのような過ちを犯していても、その間違いに心の底から気付き、罪を懺悔すれば、その罪は滅するという「懺悔滅罪」がテーマになっております。
99人もの人を殺め、そのような人間でも救われる可能性があるのかと疑問に思われる方もいるかもしれませんが、無我という教えが仏教の基本であるという論理の行き着くところとして、いわゆる[悪人]は存在せず、また絶対に変わらない人間という存在はないという立場ですから、行いさえ改めれば、そこには清らかなエネルギーが発生する可能性があるのです。「懺悔」ということの重要性を改めて深く思います。
さらに、自分だけはアングリマーラのような罪を犯すことはないと思っていても、場合によって、原因と条件が整えば、誰にでも同じような罪を犯す可能性がある。このお経はそういった部分も含んでいるようにも思われます。誰しもがその可能性を持っていることを踏まえて生きることも必要ですし、常日頃の行いの大切さを改めてもう一度自覚しなおしております。

2011年 「10月の標語」

この世に諸々の道はあるけれども
それらはすべて 不放逸をもって
根本とするのである
それゆえ 諸々の善法のなかにおいて
不放逸を最大となし 最上となすのである 

―――  相応部経典 45,140  足跡

「比丘たちよ、例えば、諸々の歩行するものの足跡は様々であるが、それらはすべて、象の足跡のなかに包摂され、象の足跡こそ最大であると説かれる。」
  それもまた、例のサーヴァッティ(舎衛城)の郊外、祇園精舎で、ブッダは、比丘たちに向って、このように語り始めました。
すべての動物の足跡のなかで、象の足跡がもっとも大きく、かつ包括的であるというのです。おそらく、この表現は、象のすむ国インドで、偉大なもの、包括的なものを表現する場合の、類型的形容句であったと思われます。そして、いまブッダが、そのような表現を冠して語り始めようとなさるのは、さまざまの実践項目のなかで、最大なるもの、最高なるものは何かということでした。
  「比丘たちよ、それと同じように、世の中に、道は様々あるが、それらの道は、すべて、不放逸をもって根本とする。それゆえ、諸々の善法のなかにおいて、不放逸をこそ、最大であり、また最上であると説くのである。
  比丘たちよ、されば、放逸ならざる比丘は、必ずや、聖なる八つの道をおさめ、それらを実現するであろうことを、期してまつことができるのである。」
不放逸とは、日本語としてあまりなじみのない言葉ですが、精進とか、努力とかに近い言葉です。ただ、おなじ努力するにしても、集中と持続に重点をおいたものが不放逸であって、他事にとらわれぬこと、傍目もふらず継続的に努め励む様が、この言葉の意味するところなのです。そして、ブッダは、この不放逸の存するところにこそ、必ず、聖道の実践は成就することか期待できると説かれ、さらに、つぎのようにおっしゃいました。
  「比丘たちよ、例えば、夜空に諸々の星が輝いているが、それらはすべて、月の光の十六分の一にも及ばぬ。そのゆえに、月の光は、夜の空において、最も偉大であるとされる。
 それとおなじく、世の中に道は様々あるが、それらは、すべて、不放逸をもって根本とする。それゆえ、諸々の善法のなかにおいて、不放逸を最大となし、最上となすのである。
  また比丘たちよ、たとえば、秋天に一点の雲もないとき、陽日は蒼天にのぼり、一切の冥闇をはらって、赫々として十方に輝く。されば、秋天にあって、陽光は、もっとも偉大であるとされる。それとおなじように、この世に諸々の道はあるけれども、それらはすべて、不放逸をもって根本とするのである。それゆえ、諸々の善法のなかにおいて、不放逸を最大となし、最上となすのである。」

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当ウェブサイトの記事をお読み頂くとわかりますように、昨年の9月に朝日新聞、今年3月『くれよん』に掲載されました。こういう時は、どっと坐禅希望者が増えるのですが、概ね数か月で、スッとその数が減っていきます。今はちょうど減っている時期です。そのような時に、皆さんが続かない理由を考えてみるのですが、坐禅をしたいという動機がきわめて稀薄である為に、しばらくすると意欲が失せ、継続するということが困難になるのではという気がします。
私の場合なぜ25年以上続いたのかと申しますとやはり何が何でもやらねばならない、やりたいという強い気持ちだったような気がいたしております。
  そして始めた時はまだ在家で、このようなことになるなど想像もできなかった境遇でしたが、来し方を振り返ってみて、結果的に何が一番現在に至るまでの原因となったと思えば、それはやはりどのようなことがあっても坐禅を休まず続けてきた、それしかなかったように思っております。

2011年 「9月の標語」

もし 人 故なくして 悪語をはなち
怒罵をあびせ 清浄無垢なる者を汚さんとなさば
その悪かえっておのれに帰せん
たとえば 土をとってその人に投ずれば
風にさかろうて かえってみずからを汚すがごとし

――― 雑阿含経 42、10、瞋恚

サーヴァッティ(舎衛城)の郊外には、かの祇園精舎のほかにも、いくつかの精舎がありましたが、なかでも、城の東、ミガーラマーター(鹿子母)の精舎が有名でした。
 それは、ブッダが、その精舎にとどまっていた時のことでした。例によって、朝早く、威儀を正して、城内に入り、托鉢をしていると、一人のバラモンが、ブッダの姿を見て、つかつかと近寄ってきました。
  この国の古い宗教者であるバラモンが、新しい宗教者であるブッダに対して、こころよからぬ感情を抱いていたことは、経典のしばしば記しているところですが、彼もまた、そのような古い宗教者の一人でした。
  近づいてきた彼は、ありったけの大声をあげて、ブッダに、怒罵を浴びせました。それでも、ブッダは、平然として、托鉢の歩をすすめています。それをみて、彼は、ますますカッとなって、そのあたりの土くれをひろって、ブッダにむかって投じました。すると、たまたま、一陣の風が、ブッダの方から彼に向かって吹きました。投じた土くれは、土けむりとなって、彼の面を覆いました。あわてふためく彼のさまを、静かに振返って、ブッダはおっしゃいました。その言葉を、経典は、つぎのような偈をもって記しています。
「もし人、故なくして、悪語をはなち、怒罵をあびせ、 清浄無垢なる者を汚さんとなさば、その悪かえっておのれに帰せん。
たとえば、土をとってその人に投ずれば、風にさかろうてかえってみずからを汚すがごとし。」
そのように教えられて、彼は、ハッとわれに帰り、ブッダの前に、深く頭をたれて、申しました。
 「世尊よ、わたしは、過ちました。世尊の面前に、かような悪語を放ちましたことは、まことに愚かなことでありました。」
 そして、さらにブッダの教えを聴き、喜んで帰って行きました。

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  むさぼりと、いかりと、おろかさ。これを、貪、瞋、痴の三毒といって、それらを除くことに努めるのが、仏教徒の日常実践におけるもっとも普遍的項目です。それらの中において、瞋恚(しんに)すなわち怒りを除くことは、きわめて難しいとされています。しかも、ひとたび、怒りに駆られるとき、積年の功徳も、一挙に消し飛んでしまうといわれます。それ故最も恐るべきものは、怒りであると言えるでしょう。
可能な限り「観る」修行を継続しているつもりなのですが、最近とみに感じることは、欲だと思っていることの背後に怒りがあったり(それは対人的なものに限りません)、怒っていることの背後に欲が見え隠れしたり、これは私自身のみならず、周りの方々を見ていても気づかされることなのですが…。

仏道修行を志して、日々努めておりますと、その底なしの奥深さに愕然とします。

2011年 「8月の標語」

世尊の弟子達の中には 肉の思いに悩み苦しんで
自ら生命を断たんことを願うものもありました
しかるに 今 私は自ら願うことなくして
生命を断つことをえたと
その時 私は そのように念じたいと思います

――― 中部経典 145 教富楼那経

これも、いつものようにブッダが祇園精舎にいらっしゃった時のことです。
プンナ(富楼那)という比丘が、西の方のスナ(輪那)という国に赴き、ブッダによって説かれた教えを奉じて住み、伝道に従事したいということで、ブッダに最後の教戒を頂きに参りました。
その時ブッダはプンナに問うて仰いました。
「プンナよ、西の方スナの人々は凶悪であるという。もし、彼らが、なんじを罵り、辱しめたならば、その時は、なんじは、どうするか。」
「世尊よ、そのような時には、私は、かように念じようと思います。――まことに賢なるかな、スナの人々。彼らは、私を、手をもって打たず――と。私は、そのように考えたいと思います。」
「では、プンナよ、彼らが、もし、手をもってなんじを打ったとしたら、なんじはどうするか。」
「世尊よ、その時には、かように念じます。――まことに善なるかな、スナの人々。彼らは、いまだ、私を打つに、鞭(むち)をもってせず、杖をもってせず――と。私は、そのように考えます。」
「では、プンナよ、彼らが、もし、なんじを打つに、鞭をもってし、杖をもってしたならば、なんじはいかにするか。」
「世尊よ、そのときには、かように念ずるでありましょう。――まことに賢なるかな、善なるかな、スナの人々。彼らはいまだ、我をさいなむに刀をもってせず――と。そのように、私は考えるでありましょう。」
「では、プンナよ、もし彼らが、刀をもってなんじをさいなみ、生命を奪うにいたったならば、どうするか。」
「世尊よ、世尊の弟子達の中には、肉の思いに悩み苦しんで、自ら生命を断たんことを願うものもありました。しかるに、今、私は自ら願うことなくして、生命を断つことをえたと、その時、私は、そのように念じたいと思います。」
ブッダは、プンナの固い決意を賞讃し、その伝道の旅を許して仰いました。
「善いかなプンナ、善いかなプンナ。なんじ、かくのごとき忍辱の心をいだかば、よく西の方スナの国に赴き、住することを得るであろう。さらば、プンナよ、いまはなんじの欲するままに行くがよい。」

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現代(特に世界大戦後)、学者の方々の研究によって、お釈迦様の在世当時に近い教義、修行方法などが徐々に判明してきました。その結果、これまで仏教(お釈迦様によって説かれた法)と思われてきたものが、随分と原初期のそれとは違っているということが明らかになっております。
私は、可能な限り原初期の教えを基にした修行を、志しているつもりでおりますが、正しかろうとそうでなかろうとそんなことは問題外で、今まで教えられたことを信じ続けてこられた各種宗教団体に属する方たちから、誹謗を受けることも稀にはあります。
お釈迦様でさえも何度も殺されかけたり、あらゆる危難に直面されているわけなのですから、ますます混沌とした現代においておやなのですが、このような時、仏弟子たる私たちがどのような態度をとるべきかということが、プンナに対するお説法を通じて説かれているのです。おっしゃる事柄は理解できても、命さえも厭わないとまでできるかとなると、志しの甘さ、日々の修行の緩さを痛感するばかりです。
ただ、いつまでもこのような状況のままではいけないと思っておりますので、たとえ1ミリでも基本に帰ろうという心がけを持ち続けなければ…と志を新たにしております。
(2009年5月にこのお経は一度取り上げているのですが、心を新たにという意味で再度とりあげました。)

2011年 「7月の標語」

過ぎ去れることを追うことなかれ
いまだ来たらざることを念うことなかれ
過去、それはすでに捨てられたり
未来、それはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし 

――― 中部経典、131、1 一夜賢者経

その時、ブッダは、祇園精舎にいらっしゃいました。いつものように、ブッダが「比丘たちよ」と呼ぶと、彼らは、ブッダのまわりに集まってきて、ブッダのおっしゃることに耳を傾けました。
 「比丘たちよ、今日わたしは、いわゆる一夜賢者の偈について話をしたいと思う。よく聞いておいて、あとで、じっくりと考えてみるがよい。」
 一夜賢者の偈というのは、そのころ巷間に知られていたものであったらしいのですが、その意図するところは、ブッダの教えに一脈相通ずるものがありました。そこでブッダはいま、それを取り上げて、今日の説法の主題としようとなさったのです。
  「過ぎ去れることを追うことなかれ。
  いまだ来たらざることを念うことなかれ。
  過去、それはすでに捨てられたり。
  未来、それはいまだ到らざるなり。
  されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
  揺ぐことなく、動ずることなく、
  それを見きわめ、それを実践すべし。
  ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
  たれか明日死のあることを知らんや。
  まことに、かの死の大軍と、
  遇わずというは、あることなし。
  よくかくのごとく見きわめたるものは、
  心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん。
  かくのごときを、一夜賢者といい、
  また、心しずまれる者とはいうなり。」

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ブッダが誕生し、教えを広められた紀元前400年〜500年頃といえば、日本では未だ縄文時代の後期のこと、それよりはるか以前にインダス文明等々の高度な都市文明が成立しており、現代より2500年も以前にこのような偈が巷で知られていたということ、その精神性の高さに驚きを覚えます。

「今の科学的文化は、人間のもっとも下等な意識をもととして発達しておるにすぎぬということを忘れてはならぬ。」
「科学の発達のわりに人間がちっともエラクなっていないのはどういうわけか」
「こんなに利口ぶって、こんなにバカになってしもうたのが人間というバカモノである。」
 
これらは沢木興道老師のお言葉ですが、進歩どころか、むしろ退歩していると思われる今日の社会状況をみますと、いつまでも怠けていては、お師匠様方に対して申し訳ないという思いでいっぱいになります。


2011年 「6月の標語」

眼において厭い離れ 耳において厭い離れ
鼻において厭い離れ 舌において厭い離れ
身において厭い離れ 意においてもまた厭い離れる
厭い離れることによって 欲を離れることができる
欲を離れることによって解脱するのである 

――― 南伝 相応部経典 35、32 有験

ある時、ブッダが王舎城(ラージャガハ)にある竹林精舎にいらっしゃいました。
その時、ブッダは、比丘たちに告げてこのようにおっしゃいました。
「比丘たちよ、なんじらは、これをいかに思うか。眼は常住であろうか。無常であろうか。」
「大徳よ、それは無常です。」
「およそ物の無常なるものは、それは、わたしどもにとって、苦であろうか。それとも楽であろうか。」
「大徳よ、それは苦であります。」
「およそ物が無常であって苦となり、しかも変り移るものを、――それはわがものである。それはわれである。それはわが我である。――と、そのように認識するのは、正しいことであろうか。」
「いいえ、大徳よ、それは正しいことではありません。」
 ブッダは、さらに、耳についても、鼻についても、舌についても、身についても、意についても、同じような問答をくり返された後、このように説かれました。
「比丘たちよ、わたしの教えを聞いた弟子たちは、そのように観て、眼において厭い離れ、耳において厭い離れ、鼻において厭い離れ、舌において厭い離れ、身において厭い離れ、意においてもまた厭い離れる。厭い離れることによって、欲を離れることができる。
  欲を離れることによって解脱するのである。解脱することを得た時、わたしは解脱したとの智が生じ、わが迷いの生活はすでに尽きた。清浄なる行はすでに成った。なすべきことはすでになしおわった。
  もはやこの上は、さらにかくのごとき迷いの生活に入ることはない、と知ることができるのである。」


眼において厭い離れ、耳において厭い離れ、…とはどのようなことなのでしょうか。
  私どもは、ほぼ朝から晩まで、眼にするものでも、耳に聞こえることでも、匂いをかぐ時でも、何かを口に入れて味わうときでも、体の感覚でも、気持ちの上でも、全てにおいて、心地よいという感覚を求めて行動しています。誰でもなるべくなら不快なものよりは美しいものを見たいし、まずいよりおいしいものを味わいたいと思っています。これが欲とよばれます。
お釈迦様によって説かれた本当の仏道修行のやり方では、接することによって生じた感覚を喜ばず、楽しまず、欲が生じないように全てにおいて、感じられたことから距離を置いて、苦の種とならないように努めなさいということのようです。
私は、毎日の修行の中で、可能な限り、お釈迦様のお説きになった方法で努めたいと、志だけはあるのですが、実際にこのようなお経に接しますと、本当の修行とは、並大抵のことではないと思い知らされるのです。

2011年 「5月の標語」

たといこの大地が壊れはて
無に帰する時があろうとも、
無明に覆われ、渇愛に縛せられて、
流転し、輪廻する衆生に、
苦の尽きはてる時があろうとは、
わたしは説かない。     

――― 相応部経典 22、99 無知

ブッダがいつものように祇園精舎にいらっしゃった時のこと、ブッダは比丘たちのために、このように説かれました。
  「比丘たちよ、輪廻はその始めを知らず、衆生は無明におおわれ渇愛に縛せられて、流転し、輪廻して、その前の際を知ることはできない。
  比丘たちよ、たとい大海の水が尽きはてて無くなる時はあろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛られて、流転し、輪廻する衆生には、苦の尽きはてる際ありとは、わたしは説かない。
  比丘たちよ、たとい須弥山が崩れ落ちて無に帰する時があろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛せられて、流転し、輪廻する衆生に、苦の尽きはてる際ありとは、わたしは説かない。
  比丘たちよ、たといこの大地が壊れはてて無に帰する時があろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛せられて、流転し、輪廻する衆生に、苦の尽きはてる時があろうとは、わたしは説かない。
  比丘たちよ、たとえば、犬を繩で縛り、堅固な柱に繋ぐとき、犬はただ柱を廻って、おなじ処をめぐり歩くばかりである。比丘たちよ、それと同じように、愚かなる凡夫は、聖者の法を見ず、聖者の法を知らず、聖者の法に順わず、色(現象=もの)に執し、色をめぐっておなじ処を歩きまわり、いつまでも色を解脱せず、したがって苦を解脱することを得ないのである。
  比丘たちよ、しかるに、すでに法を聞けるわたしの弟子たちは、よく聖者の法を見、聖者の法を知り、聖者の法に順って、色に執することなく、色をめぐっておなじ処を歩きまわらず、よく色を解脱するがゆえに、したがって苦を解脱することを得るのである。」
 ブッダは、さらに受についても、行についても、想についても、識についても、同じように説かれました。説きおわると、比丘たちは、ブッダの所説を歓喜し、喜んで精進修行致しました。

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「無明におおわれている」とは、物事の真理に暗いということです。このお説法に説かれるごとく、大海の水が尽き果てる、須弥山が崩れ落ちる、大地が壊れ果てる…実際には起こりえないほど想像を絶する現象ですが、現実にこのようなことに直面したとしても、物事の真理に暗く、欲や怒りに縛られ、生まれ変わり死に変わりを繰り返している限り、苦しみから免れることはできない、と仰っています。
 
お釈迦様が説かれた基本的な教えにつきましては、当サイト内「お釈迦様の教え」において述べましたので、是非それを参照して頂きたいと思いますが、私どもの肉体そのもののみならず、見たり、聞いたり、触れたりして感受したこと、その時に想いとして浮かんだこと、それに触発されて起こした行動、それらから認識されたこと、等々、それぞれにおいてよく観察し、それぞれに対する執着から離れることができなければ、苦を免れることは出来ないと仰っているのです。

仏道修行と申しますと、何か小難しい、「無になる」ことだろうとか、雲をつかむような話になりがちですが、お釈迦様がお示し下さった方法は、極めて合理的です。真理を探究するために、「よく観察しなさい」ということなのですから、これなら可能なことのように感じられませんでしょうか

2011年 「4月の標語」

東日本大震災で被災された皆様に
心からお見舞いを申し上げます

――― 今月は、相応部経典 22、97 爪頂 をご紹介します

この度の天災によっても、本当にいつ何時、どのように死ぬか、どのように生きるかということに直面しなければならなくなるのか、いやというほど思い知らされました。

原発で命を懸けて活動なさっている方々、被災地で復旧活動にあたっていらっしゃる方々、本当に尊い志を以て作業して頂いており、どのような言葉によっても表せないほどの気持ちです。 

また、東北に住む親戚、有縁のお寺様などに、「もしよかったら、いつでも避難して来て下さい」と何度かお伝えしたのですが、本当のところ、避難したくても、周りの皆が被災し、大変な状況に陥っているのに、立場上自分だけ避難するわけにはいかない、という方もいらっしゃいます。

程度の差はあっても、本当に困難な状況下で選択を迫られた時に、それまでの生き方が全て現れ、問われると痛感しました。

今日、庭の木々にふと目をやりますと、大惨事の報道に日々心を奪われておりますうち、よみがえりの季節を迎え、青々とした葉がびっしりと生え、芽吹いておりました。どのように破壊されたものも必ず形を変えてよみがえるのが自然界の法です。
我々の生命もまた然りなのです。

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 ある時、ブッダが祇園精舎にいらっしゃった時、一人の比丘が、ブッダを拝して、このように伺いました。
  「大徳よ、この世の物象(色)で、常恒永住にして、変易しないものがあるでしょうか。」
  「比丘よ、この世には、常恒永住にして、変易しないものは、少しもない。」
 そして、ブッダは、すこしばかりの土を爪の上にのせて、かの比丘に示しておっしゃいました。
 「比丘よ、たったこれだけの物象といえども、常恒永住にして、変易しないものは、この世に存しないのである。
比丘よ、もし、爪にのせたるこの土ほどの物象でも、常恒永住にして変易しないものがあるならば、わたしの教える清浄の行を行うことによって、苦を滅しつくすということはできないであろう。
されど、比丘よ、たったこれだけの物象といえども、この世には永住常恒のものはなく、変易しないものはないのであるが故に、わたしの教えるところの清浄行を行うことによって、よく苦を滅しつくすことができるのである。」  (相応部経典 22、97 爪頂)

2011年 「3月の標語」

比丘たちよ、色(しき=物質及び肉体)は、
わがものでなく、われでもなく、
わが体でもないと、そのように、
正しい智慧をもって、
如実に観ずるがよい    

――― 南伝相応部経典 22、118 解脱

ある時、ブッダがいつものように祇園精舎にいらっしゃった時のことです。
ブッダが比丘たちを呼び、このように説かれたことがありました。
「比丘たちよ、なんじらの考えにおいては、いかがであろうか。色(物質および肉体)は、わがものである、われである、わが体であると、そのように見るであろうか。」
「大徳よ、そうではありません。」
「よろしい。比丘たちよ、色は、わがものでなく、われでもなく、わが体でもないと、そのように、正しい智慧をもって、如実に観ずるがよい。」
 そこでブッダは、さらに受(感受作用)について、想(表象作用)について、行(意志・記憶など)について、また識(認識作用、意識)についても、同じように説かれ、さて、彼らに教えておっしゃいました。
「比丘たちよ、そのように観じて、色を厭い離れ、受を厭い離れ、想を、行を、また識を厭い離れるがよい。そのように、一切を厭い離れることによって、欲を離れることができる。欲を離れることを得れば、解脱することができる。解脱することを得れば、わたしは解脱したのであるとの自覚が生ずる。その時――わが迷いの生涯はすでに尽きた。わが安穏のための行はすでに成った。作すべきことはすでに終わった。されば、またかくのごとき迷妄の生に入ることはせぬであろう。――と証知することができるのである。」

 ブッダは、涅槃に入られる直前に、遊行者のスバッタの懇請を受け、法を説かれた時このように仰っています。(つまりスバッタはブッダの最後の直弟子になりました)
「スバッタよ、私は29歳で善を求めて出家しました。スバッタよ、私が出家して、五十余年になりました。理の法のために観を行う、沙門はこれ(わが教え=仏教)より外にはいません」(大般涅槃経)

「一切の形成されたものは無常である」と明らかな知慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(法句経・第20章277)
「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな知慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(法句経・第20章278)
「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな知慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(法句経・第20章279)

 5つの感(覚器)官を制し、そなたの身体を観ぜよ。身体について心を専注せよ。切に世を厭い嫌う者となれ。(スッタニパータ340)

(聖者は)未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂えることもない。〔現在〕感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。(スッタニパータ851)

  仏道修行において最も大切なことは「観」を行うことであることは疑う余地がありません。
「自分」を含め、あらゆる物事をひたすら観ていくと、どうなるでありましょう。物事は全て永遠に流転し一瞬たりとも留まることがありません。ひたすら観察する、その結果は、ブッダが気づかれたように、やはり絶対不変の事象は存在せず、すべては因と縁によって成り立っているのだ、ということに気づかされるのみであります。そして一所懸命「観」じていた自我が崩壊していく時、「苦」の根源がその「自我」であったと気づかされていきます。

  最近私が最も感銘を受けた言葉があります。常宿寺参禅道場には、毎朝休まず通っていらっしゃるIさんという男性がいらっしゃいます。Iさんはまだ坐禅を始めてから半年足らずですが、「坐禅を始める前の自分は氷のようなものでした。それが最近水のようになってきたような気がします。悟りとは、水がさらに水蒸気のようになり、形も何もつかみどころがなくなるような、そんな状態ではないでしょうか?」
  皆さんも毎日熱心に「自分」を観察し、精進することにより、同じような境地を味わってみたいと思われませんか?

2011年 「2月の標語」

身において自ら制するはよい
語において自ら制するはよい
意において自ら制するはよい
すべてにおいて自ら制するはよいかな
すべてにおいて自らよく制する者は
よく守られたる人と言われる 

――― 南伝 相応部経典 3,5 自護

ある時、ブッダがいつものように祇園精舎にいらっしゃった時のことです。
コーサラ国の王パセーナディは、ブッダのもとを訪れて、ブッダの傍らに坐して申しました。
 
「世尊よ、わたしは、独り静かに坐して思いにふけっている時、ふと、このように考えました。
 自己を護るというのは、どのようなことであろうか。自己を護らぬというのは、どのようなことであろうか。世尊よ、そのことについて、わたしはこのように考えたのですが、いかがでしょうか。

世尊よ、何びとであれ、行為において悪しき行為をなし、言葉において悪しき言葉を語り、その意(こころ)において悪しき思いをいだくならば、彼は自己を護る人ではないでしょう。たとえ彼が、象軍によって護られ、騎兵によって護られ、歩兵によって守られ、戦車によって守られていようとも、彼はよく自己を護ってはいないのです。何故ならば、外なるこれらの守護は、決して内なる守護でないからです。それ故に、彼は真に自己を護る人であるとは言えないのです。

 世尊よ、何びとであれ、行為において善き行為をなし、言葉において善き言葉を語り、その意(こころ)において善き思いをいだくならば、彼はよく自己を護る人であるでしょう。たとえ彼が、象軍によって、騎兵によって、歩兵によって、あるいは戦車によって守られていなくとも、彼の自己はよく護られているのです。何故ならば、内なるこれらの守護は、外なるそれらの守護にまさるからです。この故に、彼は真によく自己を護ると言うことができるとおもいます。」

 「大王よ、その通りである。まことに、その通りである。何びとにあれ、身口意によって悪しき業をなすものは、よく自己を護る人ではない。何びとにあれ、身口意の三業において善き業をなすものは、彼こそ、よく自己を護る人であると言うことができる。」

このように答えて、ブッダはまた、偈をもって、さらにこのように説かれました。
「身において自ら制するはよい。
語において自ら制するはよい。
意において自ら制するはよい。
すべてにおいて自ら制するはよいかな。
すべてにおいて自らよく制する者は、
よく守られたる人と言われる。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
よく、「自分を大切にしよう」とか、言われているのを目にしますが、果たしてどのようなことが「自分を大切にする」ことになるのか、あるいは自分を護ることになるのか、はっきりと言葉で表現しようとすることは難しいことであるように思います。
 現在、推計で、地球上には69億の人々が存在しているそうですが、それは即ち69億の自分があり、69億それぞれの価値基準があるということなのでしょう。
 それほど様々な価値観が存在しますので、一概には申せませんし、最近の世相を見ておりますと、宗教の持つ意味が甚だしく衰退し、ますます個々バラバラという風潮が顕著であるように思います。そういった中では、善悪の判断も愈々あやふやになっているように思われますが、お釈迦様の教えを奉ずる仏弟子としての立場から申しますと、「生きる」事の本質は「苦」であり、その「苦」の縁り来たって起こる根源とされるものは、貪瞋痴(貪り、怒り、愚かさ)ですので、これらから可能な限り離れた状態が「善い」状態であるといえると思われます。
したがって、身体で何か行為を行う場合、何か口から言葉を発しようとする時、心の中で何か思っている時、常に、よく自身を観察し、欲や怒りや愚かさに振り回されていないか、自己の行為に対する気づきを深めることが、さらによく自己を制御することにつながり、それが即ち自身を護ることになると、お釈迦様はお説きになっていらっしゃるのだと思います。


2011年 「1月の標語」

ヴィパッシー菩薩は
〈これで滅することができるのだ〉と
いまだかつて聞いたこともない真理に
眼をひらき、智を生じ、慧を生じ
悟りを生じ、光明を生ずることをえた

――― 南伝 相応部経典 12,4 、毘婆尸

ある時、ブッダが、いつものように祇園精舎にいらっしゃった時、このように仰せられました。
 「比丘たちよ、かの世尊、応供、正等覚者でいらっしゃったヴィパッシー(毘婆尸)仏は、その正覚の前、悟りを開かれずまだ菩薩であった時、じっとこのように思念なされた。
 〈まことにこの世間は苦のなかにある。生れ、老い、衰え、死して、また生れ、それでもなお、この苦を出離することを知らず、この老死を出離することを知らない。いったい、いつになったら、この苦の出離を知り、この老死を出離することを知ることができるであろうか〉
比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、このようにお考えになられた。
 〈何があるがゆえに、老死があるのであろうか。何によって老死があるのであろうか〉
比丘たちよ、その時ヴィパッシー菩薩は、正しい思惟と智慧とをもって、このように理解された。
〈生があるがゆえに、老死があるのである。生によって老死があるのである〉
 比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、またかように考えられた。
〈何があるがゆえに、生があるのであろうか。なにによって生があるのであろうか〉
  比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、正しい思惟と智慧とによって、このように理解された。
〈有があるがゆえに、生があるのである。有によって生があるのである〉
(以下、同様に有・取・愛・受・触・六処・名色・識・行についての追究とその理解とが重ねて説かれる)
  
比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、正しい思惟と智慧とによって、このように理解された。
〈無明があるがゆえに、行があるのである。無明によって行があるのである〉
  そのようにして、比丘たちよ、この無明によって行がある。行によって識がある。識によって名色がある。名色によって六処がある。六処によって触がある。触によって受がある。受によって愛がある。愛によって取がある。取によって有がある。有によって生がある。また生によって老死があり、愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。これが、このすべての苦の集積の縁って起るところである。
  比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、〈これが縁ってなるところである。これが縁ってなるところである〉と、いまだかつて聞いたこともない真理に、眼をひらき、智を生じ、慧を生じ、悟りを生じ、光明を生ずることをえた」

「比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、かように考えられた。
〈何がなければ、老死がないのであろうか。何を滅すれば、老死が滅するのであろうか〉
 比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、正しい思惟と智慧とによって、このように解することを得られた。
〈生がなければ、老死はないのである。生を滅することによって、老死を滅することをうるのである〉
比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、またこのように考えられた。
〈何がなければ、生がないであろうか。何を滅すれば、生を滅することをうるであろうか〉
 比丘たちよ、その時、ヴィパッシー普薩はまた、正しい思惟と智慧とをもって、このように解することを得られた。
〈有がなければ、生はないのである。有を滅することによって、生を滅することをうるのである〉
(以下、有・取・愛・受・触・六処・名色・識・行の滅についての追究とその理解とが重ねて説かれる)

比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩はまた、正しい思惟と智慧とによって、このように解することを得られた。
〈無明がなければ、行はないのである。無明を滅することによって、行を滅することができるのである〉
そのようにして、比丘たちよ、この無明の滅によって行の滅がある。行の滅によって識の滅がある。識の滅によって名色の滅がある。名色の滅によって六処の滅がある。六処の滅によって触の滅がある。触の滅によって受の滅がある。受の滅によって愛の滅がある。愛の滅によって取の滅がある。取の滅によって有の滅がある。有の滅によって生の滅がある。生の滅によって、老死の滅があり、愁・悲・苦・憂・悩の滅があるのである。これが、すべての苦の集積の滅にいたるところである。

  比丘たちよ、その時、ヴィパッシー菩薩は、〈これで滅することができるのだ。これで滅することができるのだ〉と、いまだかつて聞いたこともない真理に、眼をひらき、智を生じ、慧を生じ、悟りを生じ、光明を生ずることをえたのである」

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パーリ語聖典 長部第14『大譬喩経』等に、シャカムニ世尊の前にすでに悟りを開かれた仏が6人いらっしゃったことが述べられております。
 即ち、ヴィパッシー世尊(毘婆尸仏)、シキー世尊(尸棄仏)、ヴェッサブー世尊(毘舎浮仏)、カクサンダ世尊(拘留孫仏)、コーナーガマナ世尊(拘那含牟尼仏)、カッサパ世尊(迦葉仏)です。
上記の経典に詳説されておられる、「縁起」は仏教の代表的な教説の一つですが、釈迦牟尼仏が初めて発見されたものではなく、過去にもこれだけの覚者がおられ、お釈迦様は再発見されただけであるという説き方には大変興味深いものがあります。
 『大譬喩経』では、過去七仏それぞれの劫、生まれ、寿命、菩提(樹)、双璧弟子、弟子集団、侍者、父母の九種について語られ、さらに三十二相、縁起、七仏通戒偈等にも触れております。
たとえば過去第一仏の毘婆尸仏については過去91劫に世に現れ、(1劫は人間の4億3千200万年で梵天の1日にあたる)その寿命は8万歳、王族クシャトリア出身。姓はコンダンニャ、父はバンドゥマー、母はバンドゥマティー。パータリ樹下にて成道。一つの弟子集団は680万人、第2に10万人、第3に8万人の弟子集団からなり、カンダとティッサという2人の筆頭の弟子、アソーカという侍者がいたといいます。

ここで述べられております劫などという観念は、想像を絶する時間の流れですが、お釈迦様の説法の中にも、「4つの大海の水と、汝らが長い長い過去の幾生涯の中で、愛しい者との別離に注いだ涙と、どちらが多いであろうか」(相応部経典 15,3 涙)と比丘たちに問いかけられたという逸話も残っている位ですので、輪廻とは人智を超えた世界であり、我々の限られた脳みそを駆使して考えたとしても、見当がつくような世界ではないとの認識が必要であるように思います。

  1. ■今月の標語
  2. ■坐禅を科学する
  3. ■非思量
  4. ■悟りとは
  5. ■「元気のひけつ」
  6. ■「こころ澄まして…」
  7. ■坐禅会
  8. ■お寺でヨーガ
  9. ■写経会
  10. ■永代供養万霊塔
  11. ■お問合せ/地図
  12. ■常宿寺の歴史
  13. ■リンク