坐禅を科学する

坐禅を科学する

現代の日本は、ついに自殺者が年間3万人を超す社会になってしまいました。欝、パニック障害、統合失調症など、あらゆる精神疾患が蔓延しております。常宿寺におきましても、「坐禅すると無になるんですよね」というようなお電話の後に、坐禅を体験に来る方が増えてきておりますが、これもそのような世相を反映してのことなのでしょう。

しかし坐禅というと、「無になる」とか「癒される」と言ったようなイメージが先行しているためか、無理もないのですが、実際に体験に来た時、足の痛さや、坐っていること自体が想像以上に大変だという現実にまず驚き、逃げ出すという方がほとんどなのです。

坐禅という行為がどういうものであるのか、毎日続けて行くとどうなるのか。また、仏道修行において、2500年以上に亘って結跏趺坐という坐法が、長い間捨て去られることなく続けられてきたのは何故なのか。

毎日坐禅を行ずる中で、また、毎週のように坐禅体験希望者の御相手をする度に、少しずつ感じるようになってきた沢山の利点を伝えて行きたいと思うようになりました。

本来、仏道修行の究極目的は「悟り」を目指すものでありましたが、初心者的レベルとして、健康面の具体的効用、心身の疾患の改善等の日常的な事柄から、自己の心の持ち様を変化させていくといったことをまず目指すことが、ストレスに満ちた現代社会に生きる我々にとって必要と感じております。

お釈迦様の坐っていらっしゃるお姿の仏像が、「結跏趺坐」という坐法をとっていることからも分かる通り、お釈迦様が結跏趺坐という坐り方で坐られ、悟りを開かれたことは、ほぼ間違いないことのようです。

この坐法は、今から4500年ほど前の、インド最古の文明であるインダス文明の頃からヨーガの行者がすでに用いておりました。

【背骨と骨盤の構造】

人の背骨は本来横から見るとS字カーブを描いています。首の骨が前カーブ、背中の骨が後カーブ、腰が前カーブです。このカーブを保った状態が「正しい姿勢」です。立っていると保たれやすいのですが、坐っていると猫背になりやすいのです。

背骨を正常な状態に保ち、姿勢を正しくするためには骨盤の安定が重要です。骨盤は、左右一対の寛骨(腸骨、坐骨、恥骨),仙骨、尾骨で構成されています。(図1)

仙骨と腸骨は仙腸関節で繋がっており、仙骨の上には上半身全部が乗っています。ですから、上半身全体のバランスをとる要となるのが骨盤ということになるのです。なかでも、特に、仙腸関節と仙骨の微妙な関係が、心身に重要な影響を及ぼすことが最近になって分かってまいりました。

体の修復・休息をつかさどる自律神経である、副交感神経は脳と仙骨から発しており、ゆったりした呼吸がこの働きを活発にします。そして自然治癒力を高めるカギを握っているのが仙骨、仙腸関節の自由性であるとも言われます。

また、頭蓋骨〜脊椎〜仙骨の中には、脊髄(中枢神経)が通っています。脳や脊髄は脳脊髄液に浸され、これは一定のリズムで、ずっと膜の中を循環しています。

心身のストレスなど様々な原因で、呼吸が浅くなったり、姿勢が悪くなると、この脳脊髄液の循環が悪くなり、脳内に重大な疾患をおこしたり、肩こり、めまい、自律神経失調症などの、様々な障害が起きます。自然治癒力も損なわれます。

ですから、骨盤の傾きや背骨との前後左右の位置関係は、心身の健康にとって大変重要な影響を及ぼします。

              

【骨盤の傾斜】

(図2―1)は、身体を側面から見たものですが、骨盤の後部が上がっている状態で、骨盤後部が上がることで、背骨は安定したカーブを描いています。

これに対して、(図2―2)は、骨盤が下垂しており、いわゆる猫背の状態です。骨盤が下がることで、重心が後ろに掛かる為、顎を前に突き出してバランスをとるので首から頭の血行が悪くなり、首の凝りや片頭痛の原因にもなります。

この骨盤の前傾、後傾は民族によっても違うようで、西欧やアフリカのような狩猟民族は、前傾気味(図2―1)で、日本のような農耕民族は、後傾(図2―2)が多いそうです。またライフスタイルによっても違うようで、優れた陸上競技の選手は前傾が多く、デスクワークの人は、後傾している人が多いそうです。

坐禅の時には、当然、背骨を正しく保つことが必要ですから、骨盤は前傾気味がベストです。足を前で組むにもその方が楽です。腰を落として後ろに丸めた状態にならないよう、お尻の下に坐蒲を敷き、腰の位置より、膝の位置を下げます。そして、上記の背骨のS字状を長時間維持するためにもっとも適した形が、結跏趺坐なのです。足を前で組むからこそ、身体を足で縛った感じになり、ふらつくことが少なくなるのです。(お尻の下に坐蒲を用いるようになったのは、禅が中国に到来してからのようです。現在でも、南伝系の修行では坐蒲を用いません。 坐蒲の使用については、中国的な知恵や、民族的理由が存在していたのではないかと推察します。)

常宿寺坐禅道場で、後ろから皆様の坐相を拝見していると、もう少し骨盤を前傾気味にしてもらいたいと感じる場合が多く、坐禅の時間の経過とともに、背中が丸くなってきます。前述の民俗学的理由から、元々骨盤が後傾気味の方が多いのかもしれませんが、同じ理由で、結跏が組めないか、組めたとしても痛みがひどく、それが長続きしないという方が多いように思います。 背骨の中で、重要なのは、腰部彎曲と仙尾彎曲です。ドミノ倒しの原理の逆で、腰と、仙骨、尾骨、の彎曲が正常な位置を保っていれば、下から上へと伸びて行き、胸部と頚部の彎曲は自然に整います。

組んでいる足の太腿(あるいは股関節)を床面に対して平行に後ろへ(坐禅中)常に引いている感じと、頭を真直ぐ前向きに、耳と肩の線が縦一本になり床面に対してその線が直角になる様に保持している状態、即ち横線と縦線の双方の働きがあると、背骨は自然なS字の状態になります。常に「身体の縦横の働き」ということを、いつも心がけているようにして下さい。一寸でも油断すると、姿勢は崩れます。

          

【横隔膜と骨盤隔膜について】

正しい姿勢の次に重要なのは、「深い呼吸」です。そのためには、横隔膜やその他の呼吸を司る筋肉の構造や働きを知る必要があります。

肺や心臓などは「胸腔」という空間の中で、消化管や脾臓、泌尿生殖器などは「腹腔」という空間の中で守られています。その間に隔たりとしてドーム状に存在しているのが横隔膜で、筋肉と腱から出来ていて、肋骨、胸骨の剣状突起、腰椎に付着しています(図3)。息を吸い込んだときに下がり、胸腔を広げて呼吸を助けます。

肺呼吸の場合は「胸部が上がる」といい、腹式呼吸の場合は、息を吸い込んだ時、下腹が膨らんだ状態をもって腹式呼吸が出来ている、とする向きもありますが、下腹だけでは息の供給は不安定になりがちで不十分です。 深い呼吸をするためには、胸部と腹部の両方の働きが不可欠です。

骨盤内には、「骨盤底筋」と呼ばれる、骨盤隔膜(図4)があり、横隔膜と呼応して、呼吸をリズミカルにする働きがあります。

さらに、仙骨には、「うなずき運動」(図5)とよばれる働きがあり、仙骨が前傾すると、骨盤の上口が縮み、下辺の坐骨は離れます。

坐禅中、呼気がそろそろ切れそうになる頃、そこから仙骨をさらに前傾気味にすると、さらに吐く息が継続されるので不思議に思っておりましたが、「うなずき運動」によって、横隔膜のみならず、骨盤隔膜の双方が下へ引っ張られるように感じます。

腹式呼吸の一部、横隔膜(赤い太い線)は胃よりも上の肋骨内部にドーム状で存在していますから、息を吐く時には、(図6)のように、実際には下腹だけでなく、肋骨の下部から下腹まで円柱状のように広がっている状態でなければなりません。

息を吐き続けていくと息が減るに従って、広がった支えもまた萎(しぼ)んでいくのが自然の流れですが、その流れに逆らって広げた空間をキープし続けることが、深く長い息を保つ秘訣です。

萎んでゆく流れに逆らって外側や下側へ引っ張り続ける働きが必要な訳ですから、私が、経験的に思うことは、仙骨に糸が付いていて、それを、操り人形のように、引っ張り上げられている感じを保ち続けていると、このような筋肉の働きを持続できるような気がします。

仙腸関節の自由度が増してくるにつれ、仙骨を自由に前傾することが容易になってくると、呼吸は徐々に下に降りるようになって参ります。息が浅いと、みぞおち位までしか息が入らない感じがあると思いますが、少しずつ、息が下に降りて行き、しまいには下腹部まで入る感覚がしますから、最大に息が入り膨らんだ時には、肩甲骨の両端から骨盤の中まで、目いっぱい息が入る感じがします。

腹式呼吸の効用がよく説かれますが、ここまで読んで頂いてお分かりのように、本当に深い呼吸をするためには、胸部、腹部両方の働きが必要で、これを完全呼吸と称します。

吸うことよりも吐くことを中心に考え、「息を吐き切る練習」をしてみましょう。そしてこの練習は、必ず、鼻で行ってください。息をしっかり吐き切れば、横隔膜や腹筋などの筋肉が強く収縮し、その反発で自動的に胸部や腹部が拡張し、毎日、10分、20分と練習していけば、深い呼吸ができるようになります。そしてこの時必ず、背骨のS字を保つことに留意して下さい。

吐く息を長くしようと力みすぎて、背中が徐々に丸くなり、姿勢が悪くなってきますと、自然と首が前に出て顎が上がり、浅い呼吸になります。吐くというより、身体を(図6)のように円柱状に保ちながら、息が「漏れて行く」感じです。(吸って吐いてを一呼吸とすると、理想的には1分間2〜3呼吸です。)

両膝が腰より低くなっており、背骨がS字状に保たれていることにより身体の前面がゆったりと開いていることを常に意識しましょう。両膝(必ず床面に着ける)の2点と尾骨を結ぶ線が、きれいな二等辺三角形となるようにします。実はこの形が、縮もうとする横隔膜や骨盤隔膜を下に保っておく働きを助けるのです。

坐禅は、あくまで自己の肉体を以って、行ずるものである以上、まず自分の身体、骨格を整え、呼吸を観察し、その相互関係に気づくことによって、自己への気づきを深めていくことが初歩的段階として重要なことです。きちんとした姿勢、きちんとした呼吸が整って行かないと、何年坐禅を試みても、身体の変化やそれに伴う心の変化を実感できず、無駄な時間を費やしてしまうことになります。

左の写真は、沢木興道老師の坐禅の御姿です。沢木興道老師は、1880年6月三重県津市生まれ。4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となりました。1897年に出家を志して永平寺に入り、1899年に出家しましたが、兵役に取られ、日露戦争に従軍して重傷を負います。退役後、佐伯定胤師に唯識を学び、丘宗潭師の命により熊本県の大慈寺に入り、旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導しました。これ以後各地で坐禅指導に歩かれました。

1935年に總持寺後堂となり、駒澤大学特任教授も兼任して、学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせるなど、徹底した坐禅教育を行いました。只管打坐をその一生を通じて実践し続けられました。

「坐禅は颯爽たる姿勢と凛々たる気迫がこもっていなければならない。気の抜けたビールのような坐禅は何年やっても駄目だ。」とは沢木老師の御言葉ですが、この坐相は、まさにその言葉を実践した姿で迫力に満ちております。

今まで述べてきた全てのことが整い、前後左右に伸び伸びとした働きがあって初めて、このような坐相となるように思います。

」という漢字を見てみますと、「」と「」から成り立っています。私達の呼吸は、その時々の自身の心の状態を反映しています。緊張したり、怒っている時の呼吸は浅く短くなります。深くリラックスしている時は呼吸もまた、深く長くなっていることに気づきます。日常の動作をするうえで、常に呼吸に注意を向けてみるのも、気づきの練習(観の修行)になるのです。

【身体の柔軟性を高めましょう】

最近は身体の固い方が多いので、半跏(片方の足を腿の上に上げる坐法)さえもできないという方が珍しくありません。

実際に道場で、足が腿の上に上がらない方の為に、柔軟体操を私自身がやってみて紹介するのですが、合蹠(がっせき:足の裏を合わせ両膝を開くように床につける)や開脚前屈ができない方が非常に多いのです。このような状態ですと、仙腸関節なども相当固いと思われますので、自然治癒力も損なわれてしまいます。

現代人に精神疾患が激増しているのも、身体の固さと無縁ではないような印象さえ持っております。特に、少し前までは子供は身体が柔らかいというのが、当り前のことだったように思いますが、ここ数年来、夏休みごとに、町内の子供たちが50人程、ラジオ体操の後坐禅をしに来るのですが、本当に子供達の身体が固くなってきているということを実感し、非常に憂慮しています。

坐禅を志したからには、毎日、10〜15分位、各種のストレッチを継続して行い、身体の柔軟性を高めるように努力して下さい。ある程度柔軟性がないと、呼吸を深くすることは困難です。

是非、柔軟体操を平行して行い、股関節の柔軟性を高め、せめて片方の足が腿の上に楽に上がるように努力してみて下さい。

【まとめ】

正しい坐禅の形は、様々なことに正しい気づきを与えてくれます。坐禅から導かれていくのです。そこにこそ、この坐法が数千年も続いた理由が存在します。

「無」になるぞーと、頭の中で理想を思い描き、期待したところで、坐禅の形が、正確にできていないと、どれだけ努力しても徒労に終わってしまうものです。ガマン大会のように、根性や気力だけで坐っていると、苦を増幅させるだけで、酷い場合、本当に身体を壊します。

それは、私達の意識の及ばないところで、心と身体は密接に関連しているからなのです。まず、きちんと形を整え、呼吸を整えることを身体で覚えて下さい。坐禅を組むことが大変気持ちの良いものだと知って下さい。身体のメカニズムに留意しながら、呼吸や、身体の中の状態に対して気づきを向けて行けば、気持ちの余裕も生まれ、自己と向き合うことがもっと興味深いものとなり、毎日の坐禅や日常生活にも、また違った味わいが出てくるように思います。

落ち込むような場面に遭遇しても、「たいしたことではない。」と、受け流せるようになります。何となく、息をすることが楽になり、明るく過ごせるようになります。何かとても自由になった感覚が生じてきます。本当の自由とは、好き勝手に、我儘に生きるということではなく、「らをり所として、いちいち人の言葉に左右されず、日常生活のすべての瞬間に、楽に生きることができるようになる。」ということであるように思います。

私が二十余年前、坐禅を見よう見まねで始めた頃は、「溺れる者は藁をも縋る」と言われるように、私にとって坐禅は、唯一縋れるたった一本の藁でした。その時から、弛まず、ひたすら(只管)に努めることによって、坐禅というものが「藁」どころか、一番安全で、安心な、大きなおおきな乗り物であったということに、最近になって、やっと気づかせて頂けました。

ぜひ貴方もこの大きな乗り物の乗組員になって下さい。そしてその操縦法を学び、お稽古することによって、共に「生老病死の大海」を渡って参りましょう。

長い間、仏道修行に用いられてきた坐法なのですから、仏道修行の基本であると同時に、これを助けてくれる働きがあるということを信じております。こういったことを念頭に置きながら、毎日の修行に工夫を重ねられ、貴方が是非「安楽の法門」の前に立って頂けますようにお祈りしています。

(図2)http://www.shonan-seitai.jp/category/1202220.html 湘南整体HPより

(図3),(図6)と、横隔膜の部分についての解説は、ヴォイストレーナー渥美寿美さんのWEBサイトの記事から、一部変更を加えながら、引用したものです。渥美様は、大変御親切に沢山のご助言を下さいました。心から御礼申し上げます。(http://www.lirico.jp/abdominalbreathing.html

(図4)http://youtuukan.cocolog-nifty.com/axis/2007/06/post_63b5.html 「腰痛館」ブログより
 参照:朝日新聞(09年2月16日夕刊 「体とこころの通信簿 良い呼吸」)
    朝日新聞(09年12月7日朝刊 「生活 あなたの安心 正しい姿勢で治癒力アップ」

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