今月の標語 2019年

2019年 「12月の標語」

世は實に危脆なり、
牢強なる者無し、
我今滅を得ること
悪病を除くが如し

―――  『佛垂般涅槃略説教誡経』

10月、11月と続けて、お釈迦様の修行の目的について、「苦の娑婆からの卒業」というふうに説明してきましたが、さらに、捕捉したいと思います。
私は、お葬式を始める前に、必ずご本人に話しかけることにしております。
10月に叔父が亡くなった時、以下のように、話しかけました。

「叔父様 覚えていらっしゃいますか? 今からちょうど四十五年前、私は学習院大法学部を卒業し、法学部の共同研究室に入りました。
ある時、所用から帰って参りますと、「Kさんという方が、見えましたよ」、と言われました。驚いて応接室に参りますと、貴方がニコニコして坐っていらっしゃいました。お仕事で近くに見えた時、私のことを思いだし、立ち寄って下さったのでしたね。まだまだ新米で、不安だらけだった職場で、叔父様の優しい笑顔に接して本当に嬉しかったことを、昨日のことのように思いだしております。
同僚が「素敵な方ね」と言いますので、「叔父だ」というと、羨ましがられました。

まさに光陰矢の如し、あの時、まさか貴方のご葬儀を勤めさせて戴く日が来るなど、お互いに想像もしませんでしたよね。

私がご葬儀をお勤めする時に必ず参列の方にお話させて頂くことがあります。先週も、その前の週も、同じ話を致しました。それは何かと申しますとご葬儀の場合、百パーセントの方が亡くなった方を悼み、可哀そうと涙します。
涙しているご家族に私が必ず申し上げること、それは「今あなた方は亡くなった方のことをかわいそうと思っていますが、実は可哀想なのは、この苦の娑婆でまだまだ生きていかねばならない私達の方なのですよ」ということです。

叔父様、如何ですか?今あなたはご自分がかわいそうな状態と思いますか?そんなことはありませんよね。ついこの間まで苦しんでいた体の苦痛もすっかり取れ、今は瞬間移動も思いのまま、今ここで参列して下さっている方々の考えていることまで手に取るように分かり、超能力者になった気分だと思います。

そのような状態をお釈迦様が入滅なさるときに述べられた御遺言『佛垂般涅槃略説教誡経』の中で、以下の様に述べられております。

「世は實に危脆なり、牢強なる者無し、我今滅を得ること悪病を除くが如し、此れは是、まさに捨つべき最悪の物、假りに名づけて身となす、老病生死の大海に没在す、何ぞ智者有って之を除滅することを得ること、怨賊を殺すが如く、而も歓喜せざらんや。」

分かり安く申しますと
「世界は、実に危うくもろく、常住なものなど存在しない。私が今死ぬということは、悪い病から解放されるようなものである。これこそ、捨て去るべき最悪のものである。それはいわゆる「身体」というもので、生・老・病・死の海に沈んでいる。
どうして智慧ある者が、敵のように捨てるべき身体をなくして、喜ばないでいられるだろうか。」

体を持って生きている我々は重病人で、死ぬことはその病が治ることだとおっしゃっているのです。

七七歳という年齢で修行を終えたとみなされ、重病人の中から、やっと抜け出し、浄土に旅立っていかれたのは貴方のお徳の高さの現れと思い、是非ともあやかりたいと思います。
そして、いずれの日か、またお会いできるのを楽しみにしております。」

私がご葬儀の度に、ご本人にこのように話しかけますと、ほとんどの方は、亡くなったことを悟って、穏やかな気持ちでいらっしゃるのを感じておりますが、現実問題として、ご本人が「死んだらそれっきり」、とか「無になる」とか、思いこんでいらっしゃる場合、死んだことにさえ気づかず、地縛霊になって何時までもそこら辺をウロウロしたり、お寺に来たり、という方が増えているのも事実です。

最近、いわゆる「見える」方のお話で、ご葬儀の時、亡くなった方が、自分が亡くなったことに気づいていないのに、僧侶が自分の葬儀を行っているのを見て、僧侶を後ろから羽交い絞めにして「やめろ」と言っている場面に遭遇したことがあるそうです。
こういう話を聞くと、暗澹たる気持ちになり、我々僧侶の責任は重大であると、つくづく思います。責任をもって引導を渡さないと、先々本当に迷う人々が増えていくような嫌な予感もします。

科学の発展は、人々の幸福に寄与することはありますが、反面、科学で証明されないものは存在しない、と言い切ってしまうと、その弊害が増加してしまうように、危惧しております。

叔父の葬儀の2週間前、Wさんのお母様のご葬儀をお勤めさせて頂きました。Wさんとはちょうど5年前に御父様のご葬儀を勤めさせて戴いてからのお付き合いですが、衝撃的だったのは、2年前にまだ30歳の息子さんを亡くされたことです。そして、今回のお母様ですから、彼女はこの5年の間に最も身近な御身内を3人も亡くされています。折に触れ、様々なご相談を受けてきましたが、その都度、彼女は、私の申し上げることをまっすぐに受けとめて下さいました。お勧めしたご本も沢山読んで、お勉強なさってこられました。

9月30日にお母様が脳出血で倒れられ、2週間後にメールが来ました。ドクターによれば、すぐに危ない状態ではないが…とのことでしたが、88歳という年齢もあり、お戒名を考えて下さいとご依頼を頂きました。俗名を一字入れたものや、紫陽花がお好きという事でしたので、「紫雲陽花信女」とかいくつか考えましたが、それをWさんは大きな紙に書いて病院のベッドの上のお母様ご自身に選んで頂いたのです。(@_@)

お母様は迷わず「紫雲陽花信女」を選び、「きれいな戒名で有難い」と満足そうだったとの事を伺いました。
未だ、元気なうちに生前戒名を授与する場合もありますが、病床の方がベッドの上で選んだという事例は初めてでした。
ドクターからは、およそ、余命半年?とのことでしたが、それから程無く、帰天なさいました。

この話を後から伺い、お二人に対し、心から感服いたしました。普通なら、娘が戒名を依頼したと聞けば、「縁起でもない」とか「私が死ぬの待ってるの?」とか、言いそうですが、お二人とも死後の世界に対して、十分勉強なさっておられたので、こういうことが可能だったのだと思います。

2年前のWさんの息子さんのご葬儀の時も、あまりのことに、私でさえ、胸が張り裂けそうで、言葉を失いましたが、そういう時こそ、一時しのぎの気休めを申し上げてはいけませんので、冒頭のような同趣旨のお話をさせて頂きました。

大変有難いことに、皆様には受け入れて頂けましたようで、それはやはり、嘘偽りのないお釈迦様の真実の教えだったからと思っております。
そういう意味では、我々僧侶は本当のことをもっと学び、皆さんにお伝えしていく必要があると痛感しています。




2019年 「11月の標語」

わたくしは、幾多の生涯にわたって
生死の流れを無益に経めぐって来た
家屋の作者(つくりて)を探し求めて
あの生涯 この生涯とくりかえすのは
苦しいことである

――― 法句経(ダンマパダ)153

この節は、2006年12月の標語に取り上げましたが、久しぶりにお釈迦様のお言葉です。

先月の標語の最後に、私は、このように書きました。
「元々のお釈迦様の教えによれば、死は敗北どころか、苦の娑婆からの卒業でした。できれば二度と人間として生まれたくないと思い詰めていたお釈迦様は、修行の結果、「自分はもう二度と人間に生まれない」と勝利宣言なさいました。それが解脱(げだつ)です。」今月は、この点について少し説明させて頂きます。

上記の節の次に、以下のように続きます。
「家屋の作者よ!汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は(自己を)形成するはたらきを離れ、妄執を滅ぼしつくした。」(ダンマパダ・154)

お釈迦様は、この「家屋の作者」いう言葉で、何を意味しているのでしょうか。

もう少し、お釈迦様のお声を聞くことにいたしましょう。
「比丘たちよ、そなたたちが集まった場所に、二つのなすべきことがあります。即ち、〈法の話〉、あるいは、〈聖なる沈黙〉です。
比丘たちよ、つぎの二つの求めがあります。すなわち〈聖なる求め〉と〈俗なる求め〉(=再生の根拠となるもの)です。

比丘たちよ、何が〈俗なる求め〉でしょうか。
ここに、比丘たちよ、ある者は自ら生まれる法(=性質)の者でありながら生まれの法のみを求め、自ら老いる法の者でありながら老いの法のみを求め、自ら病む法の者でありながら病いの法のみを求め、自ら死ぬ法の者でありながら死の法のみを求め、自ら憂う法の者でありながら憂いの法のみを求め、自ら汚れる法の者でありながら汚れの法のみを求めます。」

これに引き続き、「何を生まれの法というのか」という質問については、「生存(の)素因が生まれの法となる」と表現され、「ここにかれは、縛られ、夢中になり、没頭し、自ら生まれる法の者でありながら生まれの法のみを求めます。」と説かれているのです。お釈迦様は、かつて、御自分が悟りを開かれる前のこと、〈いったいどうして私は自ら生まれる法の者でありながら、生まれる法のみを求めるのか…〉との思いが生じました。

そして、〈自ら生まれる法の者でありながら、生まれの法に、危難を見て、不生の、無上の、無碍安穏の涅槃を求めてはどうかという、〈聖なる求め〉が生じました〉と仰っています。

そして父母の嘆きをよそに、出家をし、何が善かを探求する者として、最上の寂静句(涅槃のこと)を求めつつ、アーラーラ・カーラーマ、ウダカ・ラーマプッタという二人の師にまず近づいて行きました。パーリ仏典『中部』の「根本五十経篇」の第26「聖求経」(中山書房発行『原始仏教第14巻』 片山一良訳参照)

即ち、以上の御説法からも分かります通り、仏教において欲とは「再生の根拠となるもの」を指し、その再生の根拠となるものを滅しつくそうとすることが「聖なる求め」であると、説き示されておりますので、「再生する力」がキーワードとなります。

冒頭の標語で意味しております、お釈迦様のおっしゃる家屋の作者とは、「再生の根拠となるもの」をさします。
家屋とはもちろん、現実の建物のことではありません。「わたし」を実体化し強く執着する自我意識の象徴です。

「生まれる性質のものである」と言うことは、物質としての肉体をもつということですが、お釈迦様のお言葉を真直ぐに受け止めれば、お釈迦様にとっては、肉体を持った存在であるということが、決して好ましいことではなかったということが分かります。これを逆に言いますと、肉体を持たない存在の方がはるかに好ましいということをお釈迦様はご存知だったということになります。

私共は、赤ちゃんが生まれると、「おめでとう」と祝福します。人が亡くなると「お気の毒に」と御悔やみを言います。お釈迦様的に観れば、生まれる、肉体を持った存在となることは危難なのですから、決しておめでたいことではないということになります。本当のお釈迦様の教えとは、現在我々が疑う事もせず当然と受け止めている、世間的な常識とは、はるかに隔たった世界であるということをご理解頂けますでしょうか。

最近の私が勤めさせて戴くご葬儀の場合、お通夜の後で、必ずお話させて頂くことがあります。
「皆さん、今、黒い服を着て、亡くなった方のことをかわいそうにと言って泣いておられますが、本当に可哀そうなのは、まだまだこの苦の娑婆で生きていかなければならない我々なのですよ」
そのようにお話しますと、初めはビックリなさいますが、少し落ち着きますと、そうかもしれないと冷静に受け取って頂ける場合がほとんどです。

せっかく仏式でご葬儀をさせて頂くのですから、本当の仏教について少しでも理解を深めて頂くのが僧侶の勤めと信じております。

現在の日本では、概ね12月8日が、お釈迦様がお悟りを開かれた日、ということになっておりまして、各地の僧堂などで、1日から8日まで、臘八摂心を修行致します。
禅家では、お悟りを開かれた時のお言葉を「我與大地有情同時成道」(傳光録・釈迦牟尼佛章)と致しますが、およそ、前述の法句経(ダンマパダ)で述べられるお悟りの言葉とは、実は全く趣旨が異なっております。

紀元前500年〜600年前頃、我が国日本においては縄文時代で、人々は竪穴式住居に住み、狩猟採集生活を送っていた時代に、同時期のインド半島の北部地方では、宗教や哲学が発展し、すでに、自己についての考察をはじめていました。主には、自己(self)と自我(ego)の明確な区別といったテーマです。この区別がついていないことが迷妄の根源であるというような考察です。(@_@)

お釈迦様の滅年には諸説ありますが、上座部の暦によれば、今年は佛暦2563年程になります。
仏滅後、約400年位の後、現実の人間存在のあり方に限りなく妥協し、修行方法を容易にした大乗仏教が現れました。
そうして中国へ渡りさらに4〜500年の歳月をかけ、老荘思想の影響を受け変質し、それが海を渡って伝わってきたものが、日本の仏教です。
 現代は情報化社会のおかげで、幸いにも、御釈迦様が説かれた始めた頃の教えにかなり近いとされる経文(スッタニパータ、ダンマパダとか)を容易に手に入れることが出来ますから、仏教の原点の教えがどのようなものであったのかを、知ることができます。

お釈迦様が説かれているのは、輪廻の歯車から脱け出す、解脱であり、その為に、よく整えし自己と、法を、拠り所として死ぬまで精進せよ、という教えです。

発句経154ではお釈迦様は「実体視された自我の殻を壊し、「わたし」という幻想から解放された」と宣言されているのです。

最後に、修行僧を𠮟咤する言葉を載せておきましょう。
「起(た)てよ、坐れ。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。スッタニパータ・331」
「起てよ、坐れ。平安を得る為に、ひたすらに修行せよ。汝らが怠惰でありその力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。332」
「神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。この執着を超えよ。わずかの時をも空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごした人は地獄に堕ちて悲しむからである。333」
「怠りは塵(ちり)垢(あか)である。怠りに従って塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。334」

お釈迦様の生の声に接するほど、どれだけストイックな方だったか想像を絶します。(-_-;)
科学的には進歩し、生活も限りなく便利で豊かになったように見える今日ですが、spiritのレベルがかなり衰えてきてしまっているように見えるのは何とも悲劇的です。

2019年 「10月の標語」

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか

―――  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510

6月、7月と介護の問題を取り上げましたが、あと数か月で95歳になる先代住職の頭を剃りに、4,5日に一度、ホームに通っておりますと、介護の問題をまざまざと見せつけられ、本当に今の日本の介護はこれでよいのだろうかと疑問に思う事ばかりです。
今、お世話になっているところは、新しく、衛生的で、職員の方は皆親切で、環境的には最高の場所なのですが、お世話になっている利用者の方達を見ていると、本当に暗澹たる思いに駆られることが多いのです。不足気味のスタッフの方が、様々な問題を抱えた利用者を介護していらっしゃるのが現状で、これでは慢性的に人手不足になるのも当然と思うほど、過酷な職場になっているのです。
このような時に、うまく運営されている国の介護の現状を知るにつけ、わが国もこうあるべきとの思いを強くします。一体我が国との違いはどこにあるのでしょうか?
以下 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510 より一部抜粋
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高福祉・高負担の国で知られるスウェーデンが実は「寝たきりゼロ」社会だとご存じだろうか。幸福度調査で常に上位にランクインする「幸せの国」の住民は、どのように老い、死を迎えているのか?

「この施設には40人ほどのお年寄りが暮らしています。8割以上が認知症を患っていますが、寝たきりになっている人は一人もいません。自分の力で起き上がれない人でも、毎朝必ずスタッフが手伝って車椅子に乗せます。そして食堂で一緒に食事を楽しむのです」

こう語るのは、スウェーデンの首都ストックホルム郊外にある、介護サービス付きの特別住宅で働く介護士のアンナ・ヨハンソンさん。この住宅に暮らす人たちは、ほとんどが80歳以上のいわゆる後期高齢者で、在宅で介護サービスを受け続けることが難しいほどの要介護状態にある。

高福祉国家として知られるスウェーデンは、OECD(経済協力開発機構)が行う国別幸福度ランキングでも上位の常連だ('13年度はオーストラリアと並んで1位。日本は21位)。

スウェーデン人の平均寿命は81.7歳。日本人の83.1歳に比べれば短いが、それなりの長寿国である。にもかかわらず、この国には寝たきりになる老人がほとんどいないという。

基本的な前提としてスウェーデンの高齢者は、子供などの親族と暮らすことをしない。夫婦二人か、一人暮らしの世帯がほとんどで、子供と暮らしている人は全体の4%に過ぎない(日本は44%)。

これは「自立した強い個人」が尊ばれる伝統に根差したもので、高齢者に限らず、若者も義務教育を終えた16歳から親の家を出て一人暮らしを始めるのが普通だ。
独立して生活している高齢者が体調を崩し、誰かの世話が必要になった場合でも、家族が全面的に介護することはありえない。
「コミューン」と呼ばれる市町村にあたる自治体が高齢者の希望に沿う形で、サービスを提供することになっている。そして介護は在宅サービスが基本だ。
「スウェーデンでは要介護状態になったら、できるだけ在宅での介護が行われます。介護付きの特別住宅に入りたいと申請しても、それを認めるかどうかは『援助判定員』というコミューンの専門職員の判断に任せられる。本当の人生の終末期にしか施設に入ることが許さない、『順序モデル』が基本なのです」(東京経済大学 西下彰俊教授 談)
「順序モデル」が取られているせいで、日本だったら確実に施設に入っているような認知症の高齢者でも、在宅介護が行われる。症状や要介護状態に応じて、一日に5度も6度も介護士がやってきていろいろと面倒を見るというケースが一般的だ。65歳以上の高齢者で特別住宅に暮らしているのは6%。つまり、高齢者の9割以上は自宅で暮らしている。
スウェーデンがここまで在宅介護と順序モデルにこだわるのには、2つの理由がある。1つは先ほども述べた「自立した個人」を尊ぶ文化。できるだけ最後まで自分の家で自分の力で暮らしたい、暮らしてほしいという考え方からくるものだ。

そしてもう1つは財源の問題だ。スウェーデンでは、介護の財源はすべて税金でまかなわれている。老人になれば誰でも少ない自己負担(上限が月1780クローナ=約2万5600円)で、介護サービスを受ける資格がある。
ただし、いくら税率の高い高負担国家でも(現在、スウェーデンの消費税率は25%)老人の面倒をすべて税金で見るのは限界がある。施設で24時間介護を行うよりも、在宅で何度も介護士を派遣するほうが結局はコスト的に安く上がるため、在宅介護が推奨されるのだ。
だが、そのことが結果として寝たきり老人の発生を防いでいる。寝たきりになってしまえば在宅介護は不可能になるからだ。
従って、介護士たちはできるだけ高齢者が自立した生活を送り、自分の口で食事をできるようにサポートする。国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授が語る。
「スウェーデンを始めとした北欧諸国では、自分の口で食事をできなくなった高齢者は、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しいときには無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。
それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、『胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待』だと見なされているのです」

現在の日本の病院では、死ぬ間際まで点滴やカテーテルを使った静脈栄養を行う延命措置が一般的。たとえベッドの上でチューブだらけになって、身動きが取れなくなっても、できるだけ長く生きてほしいという考えが支配的だからだ。
しかし、そのような日本の現状を聞いた冒頭のヨハンソンさんはこう語る。
「スウェーデンでも'80年代までは無理な延命治療が行われていましたが、徐々に死に方に対する国民の意識が変わってきたのです。長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いたのです。日本のような先進国で、いまだに無理な延命が行われているとは正直、驚きました」

北海道中央労災病院長の宮本顕二氏は、「スウェーデンの終末医療が日本と根本的に違うのは、たとえ施設に入っても原則的に同じ施設で亡くなるという点にある」と語る。

「日本の場合だと介護施設に入っても、病状が悪化すれば病院に搬送され、本人の意思にかかわらず治療と延命措置が施されます。施設と病院を行ったり来たりして最終的に病院で亡くなるケースがほとんどです。自宅で逝きたいと思っても、延命なしで看取ってくれる医師が少ない。

一方、スウェーデンではたとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。過剰な医療は施さず、住み慣れた家や施設で息を引き取るのが一番だというコンセンサスがあるのです」

介護する側もされる側も、寝たきりにならないように努力をする。それでもそのような状態に陥ってしまえば、それは死が近づいたサインだということで潔くあきらめる。それがスウェーデン流の死の迎え方なのだ。
日本では介護というと、どうしても医療からの発想になりがちで、手助けよりも治療という対処に傾きやすい。

「日本の場合は病院経営をする医師などが主導権を持っているケースが多く、すぐ投薬・治療という方向になる。
しかし、スウェーデンの場合は介護士たちが大きな権限を与えられていて、認知症の場合には薬を使うよりも、本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されています。
例えば私が調査した3万人ほどの自治体では2300人の職員がおり、そのうち400人が介護福祉士でした。介護は重要な雇用創出の機会にもなっているのです」(スウェーデン福祉研究家の藤原瑠美氏談)

日本では介護士というと薄給なわりにきつい仕事というイメージだが、スウェーデンでは安定した公務員で、経済的に困窮するようなこともない。藤原氏によると、スウェーデンでは認知症の人のうち約半数が独居しているという。しかしそれで大きな問題が起きたこともない。

「この国では、介護の負担はすべて国や自治体がします。『国は一つの大きな家族である』という発想が定着していて、家族が介護のために経済的負担を強いられるということもありません。
また、施設を訪れた家族が、食事や入浴の手伝いをすることもまずありません。家族は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえばそれでいいのです」(前出のヨハンソンさん)

老後破産や孤独死、老老介護による共倒れなどがますます深刻化している日本の現状から見ると、まさに「北欧の楽園」だ。  「週刊現代」2015年9月26日・10月6日合併号より一部抜粋

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上に述べられてきたように、わが国の介護には様々な問題があるのですが、私的には、最後を、病院にゆだねざるを得ない点が、最も問題であるように思っています。記事中にもありましたが、現在の日本の病院では、死ぬ間際まで、点滴やカテーテルを使った静脈栄養を行う延命措置が一般的で、ベッドの上でチューブだらけになって、身動きが取れなくなっても、酸素マスクで口が覆われ、最後の言葉が聞き取れない状態になっても、一分一秒でも延命するというのが善であるという考えが支配的だと思います。
その根底には、現代の医療にとっては病気を治し、一日でも長く生かすことが目的であり、これ以上医療の入る余地の無くなった「死は敗北」であり、それでおしまいという考えが根本にあるからでしょう。

元々のお釈迦様の教えによれば、死は敗北どころか、苦の娑婆からの卒業でした。できれば2度と人間として生まれたくないと思い詰めていたお釈迦様は、修行の結果、「自分はもう2度と人間に生まれない」と勝利宣言なさいました。それが解脱(げだつ)です。
人間はこの世で修行するために肉体を与えられ、それゆえに不自由な生活を強いられます。修行があまり辛くならないようにと、食べること、寝ること、性的な部分等々で、少し快楽が与えられています。そういう欲に未練を残し、それの奴隷になっては、本末転倒です。
皆さ〜ん、最後に病院でひどい目に遭いたくなければ、自分がどのように、人生の幕を下ろすか、ある程度シミュレーションして、周りにそのことを明確に示しておくことをお勧めしたいと思います。現に、病院を拒否して、家族の手を握りながら、見事に逝かれた方を身近に見ておりますので、望めば可能です。(^^)

2019年 「9月の標語」

Don't judge a book by its cover.

―――  a wise saying

”Don't judge a book by its cover”を文字通りに訳すと「本を表紙で判断するな」と言う意味ですが、これは英語の諺で「人を見た目で判断するな」「物事を外見で判断してはいけない」という意味になります。

ヨークシャーテリアのテリーは昭和61年(1986)3月30日、私の34歳の誕生日に我が家にやってきました。
それからの、今までの人生の中で最も辛く大変だった、七転八倒の苦難の日々を一緒に過ごし、乗り越えながら、励まし続けてくれました。私のこぼした涙が手の上に落ちると、それを優しく舐めてくれたことを懐かしく思いだします。
平成9年、テリーは11歳になっていましたが、徐々に、散歩を嫌がったり、舌の色が悪くなったりして、心配しておりました。この年の春は、テリーを抱っこして、満開の桜並木の下を歩いたことを昨日のことのように思いだします。そうして、4月29日、突然、呼吸困難を起こし倒れました。連休中でしたし、近所の獣医さんも信頼できるところはありませんでしたので、大急ぎで電話帳で調べ、車で10分ほどのところにある休日診療をやっていた大きな動物病院に連れて行きました。
 緊急事態のテリーはすぐに、診察室に入れてもらい、診ていただけました。その時担当してくださった、獣医師の女の先生は、髪を茶髪(というかほとんど金髪)に染め、とても若くお見受けしました。一瞬、(今思うと大変失礼なことながら)「えっ、この緊急事態にこの先生で大丈夫?」という想いと同時に、私の頭に(当時流行っていた)「ヤンキー」という言葉が浮かびました。

その先生がおっしゃるには、「恐らく、心臓の表皮に水が溜まっており、そのために心臓の動きが非常に悪くなっているので、助けるためには、その水を抜く必要があります。ただし、それには、直接、注射器でやりますので、心臓に万が一刺されば死ぬ危険性もあります。どうしますか?」とのことでした。目の前のテリーはどっちみち、舌が完全に紫色になり、息も絶え絶えで死にかけている訳ですから、迷わず、「お願いします」と言いました。

その直後、茶髪のヤンキー先生は私の目の前で、太い注射器をいきなりブスッとテリーの身体に刺したのです。素人目にはもちろんどこに何があるか分からない状態ですから、(@_@)!!!
次に、注射器の押子(プランジャ)をグーッと一気に引くと、どんどん水が吸い取られて行くのが見えました。
その有り様は「見事!」というほかはなく、太い注射器の中に沢山の水が吸い取られたのと同時に、テリーの紫色だった舌が、みるみる赤くなりました。そして、なんと同時に起き上がったのです。その回復ぶりの鮮やかさは、まるで魔法を見ているようでした。私の今までの70年足らずの人生の中でも、これほど驚いた体験はありません。

その後、ご紹介をいただいた麻布大学で精密検査を受けましたが、結果は「心臓の表皮に癌ができている」というものでした。場所が場所だけに手術もかなわず、酸素ボンベをリースしたり、発作時の注射なども、何度かしましたが、それから1年後、5月に私が泉岳寺で得度して頂けると決まった直後、安堵したように17日に私の腕の中で亡くなりました。

それから縁に導かれるように、7月に、ここ一宮にやって来てから、本当に月日の経つのは早いもので、20年余が経過しました。
つい先日、お盆の直前に、朝、テレビをつけておりましたら、この時期はペット達も熱中症対策が必要、という番組をやっておりまして、突然、テリーを診て下さった先生が出ていらっしゃったのです!!!

テリーが亡くなった時は、「もう先生にもお会いできなくなるのか」と悲しくなったほど、テリーだけでなく、私まで癒して頂いておりましたので、久しぶりに先生のお顔が拝めたことが本当にうれしく、病院に電話致しました。残念ながら、たまたま先生はお休みでしたので、病院のウェブサイトの問い合わせフォームにメールしてしまいました。
数日後、以下のようなメールを先生から頂きました。(^^)

「この度は御丁寧にメールをいただきありがとうございました。
テリーちゃんは、心臓外膜由来の中皮腫という珍しい病気でしたね。闘病中岡本様のテリーちゃんへの愛情に心打たれました。
テレビに出演することは好んでいないのですが、犬や猫の熱中症が啓発することで少しでも防ぐことができればとても嬉しいので、泣く泣く出演している状況でございます。しかし、この度のように御縁のあった飼い主様から近況等のご連絡をいただけるという嬉しい誤算もあって、そのことは本当によかったなあと感じました。
暦の上では秋ですが、まだまだ暑い日が続きますし、昨今の悪天候なども尋常では無い量の雨量だったり・・・ですので体調を壊さないようにご自愛ください。この度は本当にありがとうございました。
これからも犬や猫が飼い主様と幸せな人生を歩むことができるよう微力ながらお手伝いしていこうと思っています。」
ナント、20年以上前のことを、先生は覚えて下さっており、本当に感激しました。

テリーは今、常宿寺境内に建てた動物専用のお墓に、他の仲間たちと一緒に埋葬されています。

2019年 「8月の標語」

自分の人生を生きていないとき
人は病気になる   

――― 梯谷 幸司(はしがい・こうじ)

今回、ご紹介する記事は、3年前に書かれたようですが、最近、ネット上で「自分の人生を生きていないとき人は病気になる」という言葉が目に留まった時、目が釘付けになり、深くうなずいてしまいました。
私が21年前に家出し、東京から一宮に移り住んだのも、まさにこのことが理由だったからです。
ここに来るまでの私は自分の人生を生きることができていないと感じていましたし、当然、体調もすぐれませんでした。今のままなら、死んでいるのも同然だから、経済的に安定した生活を捨てて、「本当に死んでも構わない」と思い詰めて出てきました。
  
「たいていの者は食うために働く。これでは人間一生口に使われる。これはもう負け戦で、そんな人間はまことに困った弱虫の動物、口に全部使われるという動物なみの人間と言わなければならぬ。われわれはなんらかの使命のために命をつなぐので、そのためにこそどうしても食べなければならんのである。」
このような沢木老師の御言葉を暗記するほど繰り返し読んでいた当時の私は、お寺に入れて頂けるご縁が整った時、迷いはありませんでした。

毎日、様々な家庭に読経のためにお伺いしますが、お勤めの後、色々お話をする中で気が付いたことですが、もちろん仲睦まじいご夫婦もいらっしゃいますが、御夫婦それぞれに強烈な不満を持っているのに、生活への不安から我慢をしている方も中にはいらっしゃいます。
要するに食べられなくなる不安から、仕方なしに一緒にいる訳ですが、肉体としての自分を維持するために、大げさに言うと魂としての自分を抹殺しているわけで、何か割り切れない忸怩たる思いに駆られます。

メンタルトレーナー の梯谷幸司さんは、意識と言葉の関係によって病気のコントロールが可能だと言います。 
以下、https://president.jp/articles/-/18207 (2016.7.2 PRESIDENT Online ) 参照

「病は気から」と言われますが、梯谷幸司さんは自己実現のツールとしても使われるNLP(神経言語プログラミング)などを駆使し、経営コンサルタントやビジネスコーチとしてだけでなく、医療の場でも「言葉を使って病気を消す」といった取り組みを積極的に行っています。このような活動の中で、以下のことに気づかれました。
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@ 人は言葉で表現できないとき、体で表現を始める
ビジネスコーチという職業柄、これまでのべ3万人以上のクライアントの対応をしてきました。中には、経営者や業界トップクラスの方も多く、彼らは自分の体調について隠さなければならないこともしばしばでした。コーチングの傍ら、そうした人たちの健康相談を受けることもあり、その過程で、病気になる人に共通した傾向があることに気づいたのです。

初めに病気と言葉の関係に気づいたのは、自分自身の体験からでした。まだコーチングの勉強を始めた新人の頃、忙しさのあまり、過労からマイコプラズマ肺炎になって入院しました。当時の上司がお見舞いに来てくれたときの言葉は忘れられません。開口一番、「君は何を言っていないんだい」と聞かれました。突然で面食らいましたが、「休みをください」と返しました。すると、上司は「人は、口で言えばいいことを、体で表現する。次回からは体でなく口でそれを言いなさい」とだけ言って帰っていきました。その後、私のマイコプラズマ肺炎は医師の予測よりずっと早く治りました。この体験がきっかけで、私は病気と言葉の関係に注目するようになったのです。

さらに、数年前から、家族や親しい友人が次々と病に倒れ、その際に私が言葉を使って暗示にかけ、病気が改善したということがありました。以来、医療分野でのサポートを考えるようになり、今年から都内でクリニックを経営する首藤紳介医師と組んで、「言葉で病気を消す」といったメンタルカウンセリングを行っています。

これまでに、乳がん、子宮がん、大腸がん、認知症、パーキンソン病、不妊症、学習障害など、さまざまな悩みを抱える人々に会ってきましたが、彼らに共通していることがあることに気づきました。「誰かに何か言っていないことがある」「許せない人がいる」「受け身的な解釈をする」「原因を外に求める」などです。

こうした価値観や思いを持って生きていると、人は徐々に本当の自分の気持ちを抑制して生きていくようになります。そして、どんどん「本来自分が望んでいた人生」からズレていくのです。どんなに社会で成功をしている人でも、どんなに財を成している人でも、この点は共通しているようです。

A 自分の人生を生きることは、今すぐにでもできる
「自分の人生を生きる」ということは、誰かと競ったり、自慢するためだったり、または誰かのために生きることではありません。自分が心から喜びを感じることをやっているかどうかに尽きます。家族のために仕事をし、我慢をしながら一生懸命に頑張ることが当たり前で、必死にやっているというのが世間の大半でしょう。「本当にやりたいことだけできる人生なんて幻想だ」という人もいることでしょう。しかし、視点を変えて、今やっていることに新しい意味づけをすることは可能です。今していることをすぐにやめて、やりたいことだけをやるという必要はありません。

同じ「仕事をする」でも、生活の糧のために仕事をするのか、何か大切な役割のための仕事なのかで動機が全く違ってきます。もし、今の仕事に満足していなければ、その仕事を「人生」というもっと大きな流れの中で、自分にとってどのような意味があるのかを俯瞰して見てみるのです。これまでとは違ったものが見えてくるはずです。

病気も同じことです。成し遂げたいことがあるから病気を治したいのか、ただ病気を治したいから治療をするのかで、回復の程度もスピードも異なります。
病気は、「自分が本来あるべき人生からズレているんだよ」と知らせてくれるサインであって、敵や怖いものだと感じる必要はありません。病気からヒントを得て、考え方をシフトしてみることで、体調だけでなく、人生にも変化が起きるかもしれません。これまで、実際にそういう人をたくさん見てきました。

一般的に、病気、特に慢性的な疾患についてはその原因を生活習慣などに求めますが、私は、その人の潜在意識を探ります。病気を発生させている隠れた原因というものが、誰にでも潜んでいるからです。目標達成や自己実現のツールとして欧米で使われているNLPやLABプロファイル(行動特性から思考パターンを分析し体系化したもの)、禅などを応用したカウンセリングのテクニックを駆使して、潜在意識を探り出す方法を紹介しましょう。

B 病気は必ず人間関係に問題を抱えている
●「隠されたコミュニケーション」を暴く
最初に私が見るのは、「隠されたコミュニケーション」です。病気の裏側には必ず、誰かに何か言いたいことが言えていないなど、周囲の人間関係の問題があります。まずそれを探し出します。

認知症の患者さんは家族間での問題が多いようです。私は患者さんに対して、繰り返しこう言います。「私の前では認知症は通用しませんよ。一体何のために認知症になっているのですか?」と。しばらくすると、「子どもに遺産を渡したくないから」だとか、「夫の面倒をみたくないんだ」など、何らかの返事が返ってきます。逃げ出したいことがあると認知症になって逃げ込むのがありがちな特徴のようです。

がんになる人も、「上司に不満がある」「夫が浮気をしている」「姑とうまくいっていない」など、必ず何らかの理由が返ってきます。しかし、なかなかそれが口に出せなかったために、病気という形で体が表現をしているようです。
こうした不満や口にしてこられなかったことを、カウンセリングの最中に引き出します。

●病気に対して、主体的か受け身であるかを確認する
次にその人の意識の中の「フィルター」を確認します。私たちは、物事をさまざまなフィルターをかけて見たり判断する癖があります。「男は○○だ」「日本人は○○だ」などの固定観念もフィルターのひとつです。「○○でなければならない」「○○しなければならない」という思い込みもそうです。また、原因を他人に見出すか、自分に見出すかもフィルターのひとつです。仕事でミスがあった場合、自分で防げなかったことを反省して、次回はミスをしないように前向きになる人もいれば、誰かのせいにして延々と恨む人もいるでしょう。何かの事柄が起こったとき、自ら考えて行動を起こすのか、周囲がそうするから自分もそうするのかなど、原因をどこに置くかで結果が変わってきます。

C 自分で「病気をやめること」ができる
●意識レベルを確認する
意識のレベル(感情レベル)の確認も大切です。アメリカの精神科医、デヴィッド・R・ホーキンズ博士は、意識には悦び、愛、勇気、怒り、恐怖など、17段階のレベルがあり、意識のレベルによって発するエネルギー値が変わるといいます。がんになる人は「罪悪感」があり、自殺をする人は「恥じ」の意識を持っていることが多いようです。私は、罪悪感、無気力など低い意識のレベルにいる人に対して、カウンセリング中に恐怖を感じさせたり、怒らせたりすることがあります。これはエネルギー値を上げるためにわざと行うテクニックのひとつです。意識のレベルを一気に上げるのは難しいので、少しずつ上に上げて、達成可能なレベルにもっていくのです。

●不完了な感情を解決する
そして、これが最も重要です。不完了な感情がないかどうかの確認です。不完了な感情というのは、未消化の感情とでもいいましょうか。患者さんの多くに「絶対に許せない」という感情が見られます。この「絶対に許せない」を「許す」に変える決意をすることが非常に重要な一歩となります。許せないことが習慣になっていますし、中には許さないことが生きるよるべになっている場合もあります。しかし、病気と決別したいのであれば、ここで「許す」と決心できるかどうかが、ひとつの鍵となります。

●「前進している」感覚を持たせる
その後は、生きる目的を明確にさせ、それに向かって「前に進んでいる」という感覚を芽生えさせます。仕事や家庭での自分の生きる目的や目標を見つけ出したら、その目標を達成するために必要な最初のステップ、プロセス、スケジュール、課題や問題を洗い出します。こうした過程を経ることにより、考え方が主体的になり、「自ら前に進んでいる」という感覚を得ることができるようになります。実はこの感覚こそが、実際に目標が実現するかどうかよりも重要なのです。
ある日、私のクライアントが「私、この病気でいることをやめることにしました」と言ってきました。彼女は病気は自分で作るもので、自分でやめることもできるのだということに気づいたようです。進行がんの患者だったのですが、それから3カ月ほどでがんが縮小して、最終的にがんが消え、主治医も驚いていたそうです。
別に彼女が特別というわけではありません。自分の人生は自分がコントロールしているという感覚を持って、自分で病気をやめようと決心することは、誰もができることなのです。

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この地に移り住んで21年が、文字通り、あっという間に経過し、本当に様々な事がありました。もちろん、良いことばかりではなく、辛い思いをしたり、悲しいことも起きましたが、それでもつまるところ、人のせいにする訳にもいかず自己責任ですから、後悔したことは一度もありません。
私は、愛知県、そしてここ一宮が大好きですし、地域の人々にも心から感謝申し上げております。
「遠い親戚より近くの他人」と申しますが、本当にどれだけの多くの皆様に助けて頂いたことか…

先日、町内の方とお話をしていて、「当初、思い描いたような生活になりましたか?」と問われ、「まさか!」と即答しました。お寺も建て直して頂き、自分がやりたいことをさせて頂けるなど、想像さえしておりませんでした。気が付いたら、回り舞台が回るように、舞台装置や背景が、目まぐるしく変わっていった…というのが正直な感想です。
ただここまでにして頂けますと、死んでも構わないと、21年前に決断したことが間違っていなかったのだと、思っております。もし、今のアナタが「自分の人生をいきていない」と感じていらっしゃるのなら、まず自分の現状を把握すること、そして自分の願い通りの人生をいきてみようという勇気を持って頂きたいと念願しております。

2019年 「7月の標語」

なぜ台湾では人が穏やかに死ねるのか?

―――  玉置妙憂

私が、お通夜をお勤めした後、ほとんどの場合、このようにお話することにしています。
「皆さん、今、黒い服を着て、泣きながら、亡くなった方のことを可哀想に…、と言っていますが、本当に可哀想なのは、まだ生きている我々の方なのですよ。未だ、この苦の娑婆で生きていかねばならないのですから」と。
これは、私が、勝手に申し上げていることではなく、実は、元々のお釈迦様の教えなのです。

先月の標語でも取り上げましたが、現在の間違った風潮によって、何が何でも長生きしなければならないと思っている人々は、一分一秒でも、どのような状態でも、命を長らえさせるのが、良いことだと思いこまされていますが、長生きなどめでたいことでも何でもありません。

先月は、お医者様が書かれた記事でしたが、今月は、看護師でもある僧侶の玉置妙憂さんの記事をご紹介したいと思います。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190417-00010001-php_s-bus_all

看護師かつ、真言宗の僧侶である玉置妙憂さん。看護学校で教鞭を取っているなかで、カメラマンだった夫のがんが再発。そしてその死を看取った。夫はがん治療を拒否し自然死を選んだ。「あれほど美しい死にざまを、看護師として見たことがなかった」と玉置さんは語る。

いよいよ、人がものを食べられない状態になったら、家族は、私たちは、どうすればよいのでしょうか。
食べものを受け付けなくなったり、噛めなくなったり、嚥下(えんげ)できなくなったり、いったん飲み込んでも戻してしまうようになったとしたら――。
その体には、もう食べ物は必要ないということ。その人も、食べることに興味がないということです。そうなったらQOLよりQOD(Quality of Death/死の質)を考えるべきときです。

本人の意識がなくなった状態で、家族が治療のフルコースをしていいのか。たとえば点滴を続けてもよいのか。難しい問題ですが、逃げずに考えてほしいと思います。
そんな時期になると、本人は「幻視」を見ることも増えてきます。幻視とは、その名の通り、実際には存在しないものを見ることを言います。 人によっては「光の柱」だったり、「大量のアリ」や「人の姿」だったり。
そんなとき、医者はたいてい「精神安定剤を処方して、心を落ち着かせる」という方法をとります。「□□□が見えた!」などと真夜中に大騒ぎして、家族が眠れなくて困るということもあるからです。

2016年に、台湾の在宅医療の現場を視察させてもらったことがあります。
そのときは、現地の台湾人のHさんという方の看取りに立ち会わせてもらいました。ご家族によると、Hさんは「光の柱が立つ」と何度も訴えられるのだそうです。
すると……。
ここが日本と異なるところなのですが、Hさんのご自宅に、医者ではなく、お坊さんがいらっしゃいました。そしてこう答えられたのです。「万事、順番通りに、うまくいっています」
すると、Hさんは「そうですか。万事うまくいっているんなら安心しました」と、薬を使うことなく、落ち着かれたのです。私は「すごいなあ」と驚きました。

もしこれが日本の場合、医者は「幻視です」と、症状名を告げるでしょう。
そして、患者さんや家族からそれ以上の説明を求められたら「脳が酸欠の状態のため、幻視が見えるのです。ただし、肺機能が落ちてガス交換がうまくできなくなっているので、酸素を補っても治らない」などと答えなくてはなりません。

患者さんやその家族は、頭では納得できるかもしれませんが、モヤモヤとした気持ちは残るはずです。
その点、宗教家であれば、説明は一切いりません。
「万事、うまくいっています」
これは非科学的なようにも聞こえますが、死に向かって「万事うまくいっている」のは、たしかに事実なのです。
このような方法で終末期のQODを高めることができるとは……。その光景に衝撃を受けて、しばらく呆然としていたものです。

それに、台湾の「看取り」が何より素晴らしいのは、この短い言葉だけで患者さんを安心させ、穏やかにすることができるという点です。
このような医療者、介護者以外の立場の「第三者」が、看取りの場に継続的に参加してくれる仕組みは素晴らしいものです。

ですから私は今、日本でもこのような環境が整うことを夢見て、台湾での看取りシステムを“輸入“できるように、日々模索している最中です。
日本では、終末期のQODを高める環境が十分に整っているとは言えません。しかし台湾での体験をとおして、いち僧侶として、自分にもまだまだできることがあるのではないかと考えています。

そして、台湾のお坊さんの言葉「万事、うまくいっています」。 私たちも、うまく活用していきませんか。
たとえ、どんなに不幸に思える事柄に見舞われたとしても、大きな流れで見れば、些細なことであったり、全体として見ればうまくいっていたり。
「よくないこと」も見方を変えれば「よいこと」に見えてくることがあります。
「万事、うまくいっていない」と思えてならないときこそ、むしろ「万事、うまくいっている」と、唱えてみる。
すると、あわてず、ラクに生きることができるのではないでしょうか。

たとえば、自分が入院することになったとき。たとえば、家族が闘病することになったとき。
「この先」のことを思いわずらう人は多いものです。まだ見ぬ「最期」について、ついつい考えてしまうことだってあるでしょう。

でも、どうか心配をしすぎないでください。人間は、自分で人生の後始末ができるいきものです。
命を終えることに、難しい技術も訓練も、リハーサルも、必要ありません。
人は誰でも、そのときがくれば、まるで呼吸をするように、自然に旅立てるようになっています。
どんな変化が体に訪れようとも、それほど思い煩う必要はありません。
「万事、うまくいっている」そう心のなかでつぶやくことで、気持ちはずいぶんと楽になるものです。

なぜ、そんなに自信をもって言い切れるのかというと、私の夫の旅立ちが、まさにそうだったからです。
死とは「生の延長線上にあるもの」「日常の地続きにあるもの」なのだとすんなり納得させてくれました。
がんが再発した後、余計な闘病をせずに自宅での“自然死“を選んだ夫は、「ほどよくドライ」に、枯れていくように旅立っていきました。

映画やドラマでよく描かれるような「激しい死」「苦しい最期の瞬間」というイメージとは無縁。呼吸も穏やかで、体からは何も流れ出てきませんでした。
「人間は自分でちゃんと自分自身の後始末をして、きれいになって、死ぬようにできてるんだなぁ」
私はそう身をもって実感することができました。

「妙憂さんは看護師なんだから、それまでに死に際の光景なんて、病院でたくさん見てきたでしょう?」
そう不思議に思われるかもしれません。たしかにその通りです。
でも、私が「夫の看取り」より前に見てきた死は、あくまで病院で迎える「患者さんの死」です。

体にとっては、もはや不必要な点滴のおかげで、サードスペース(細胞と細胞の間)に水分が染み出し、パンパンに皮膚がむくみあがった手足。そのため、少ししただけで、皮膚がペロリとむけてしまうご遺体に、私はこれまで何度も向き合ってきました。

誤解を恐れず言うと、末期の患者さんへのほとんどの点滴とは、医学的に見て、何かの症状を改善してくれたり、痛みをやわらげるような効果は、ほぼありません。
「水分補給」などという“正義の“のもと行われるわけですが、実際はむくみの原因となり、患者さんの体に負荷を与えるだけです。
さらに言うと、点滴の弊害は、むくみだけにとどまりません。 旅立ちのあとに、いろんな体液が体中からもれ出てしまうのも、実は体が処理しきれなかった点滴のせいです。
けれども、夫は点滴をしていなかったため、ほどよく枯れ、死後に体液がもれ出すことなんて、まったくなかったのです。そんなことを、“自然死“という形で身をもって教えてくれた夫に、私は今でも感謝をしています。

「体にとって余計なことはしないほうが、きれいに旅立てるよ」
彼は私に、そう教えてくれたのです。このような旅立ち方について、ひとりでも多くの人に知ってほしいと思えてなりません。
ですから、どうか先々のことを心配しすぎないでください。 誰もがいま、「万事、うまくいっている」のですから。
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初めにお話したことに戻ります。私は今まで、数え切れない位、お葬式を勤めさせて戴き、沢山の方を、向こうの世界にお送りしてきました。その経験からしますと、死ぬことは決して可哀想なことではありません。
私がお送りした方達で、もう一度人間に戻りたいと訴えてきた方は一人もいません。
むしろ、亡くなった方たちは、まだこの苦の娑婆で生きねばならない我々のことを、とても心配しています。

だから我々のするべきことは、向こうに旅立った方たちに心配を掛けないように、ちゃんと生きていくこと、そして、我々が向こうへ行ったら、先に逝った方たちと再会できることを楽しみにする、それしかないように思っています。

2019年 「6月の標語」

長生きは本当に幸せか? 

―――  富家孝

今から6年前ほどのことですが、ある時、お月参りに伺った時の事です。
施設で御世話になっているお母様がついに食事が摂れなくなり、「胃瘻(いろう)をしないと施設ではお世話できない」と言われたと、息子さんが読経の前におっしゃいました。
それよりちょうど4年前に亡くなられた御父様のお月参りで伺ったので、読経中に御父様に胃瘻の件を伺ってみると、「無駄なことはやめておけ」と、いう御父様の意図が伝わってきました。
お経が終わって、「お父様が止めて置けとおっしゃっていますよ」と、息子さんにお伝えしました。
それでも息子さんは、胃瘻をしないという事は、死に直結すると考え、入院させて胃瘻を受けたのですが、それからちょうど一週間後、今日退院という朝に、亡くなりました。
「亡くなった」とご連絡を頂いた時、お父様が無駄だとおっしゃっていた意味が分かりました。

胃瘻などというものがなかった頃は、人間は食べられなくなったら死期が迫ったという事を意味しました。自然の摂理で、体が食物も受け入れなくなり、そうして枯れるように、自然な形で、あの世に旅立てたのに、余計なことを始めた為に、きれいに楽に死ぬこともできなくなりました。
なぜこのようなことが起きるのか?それは現代医学が、死を敗北とみなしているからに他なりません。

私も、現在ホームでお世話になっている94歳の隠居様も、尊厳死協会の会員で、死が迫った時に余分なことはしないでほしいと意思表示をしてあります。

まだまだ若いうちは病と闘う必要はあるのかもしれませんが、高齢者になってまで、死と闘う姿勢を保つのは、はたして正しい在り方なのかと、常々疑問に思っておりましたところ、最近以下のような記事をみつけ、我が意を得たような気持ちになりました。

【長生きは本当に幸せか? 医師・ジャーナリスト富家孝が問う】  5/17(金) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00000019-ykf-soci

年寄りが集まって健康、長生きの話しかしなくなったら、それはもう終わりと思ったほうがいいでしょう。長生きが目的になってしまった場合、もはやそれは人生ではありません。人は、単に長生きをするために生まれてきたのではないと、私は思います。

 いま、長生きを礼賛しているのはメディアとテレビのコメンテーターたちだけです。いまのメディアは、人間誰もが長生きを望んでいるという「架空の前提」に立っています。

 長生き礼賛は、私たち日本の文化、伝統ではありません。『楢山節考(ならやまぶしこう)』を読めば、死期を悟った老婆は自ら「楢山まいり」の日を早めることを望み、息子はそれに従います。この小説は日本各地にある「姥捨伝説」に基づいたものですから、日本人は昔から自らの「死に時」を悟って行動していたことがわかります。私たちは、もともと、死に対して謙虚であり、潔いのです。

 しかし、現代の医療とメディアは、それを許しません。統計から見ると、日本人は男で8・84年、女で約12・35年もの間「不健康期間」(平均寿命から健康寿命を引いた期間)があります。この期間の後半に、多くの人は寝たきりとなります。私が施設に行くと、早く死にたいという方に会います。

 「先生、もう人生の役目も楽しみも終わってますのや。早く逝かせてくれんかなあ」「こんなん、本当に殺生やわ」「ほんまにつらくてたまりません」

 こうした方々を見て、やがて自分もそうなる可能性があると思うと慄然とします。また、人生の終わりがなぜこれほど悲惨なのかということに、怒りを覚えます。

 メディアがいくら隠しても、人生の最期が悲惨、いまの医療のなかで迎える死は苦しみのほうが多いことを、人々はうすうす気づいています。

 そのため、長生きに関して意識調査をすると、なんと「長生きしたい」と望む人は半分以下という結果が出ています。日本生命のアンケート(2016年、20代から70代までの男女1万973人)によると、「長生きをしたいと思う」人と、「まぁ思う」人を足すと46・3%。半分に達していません。さらに、「長生きができると思う」人と、「まぁ思う」人を足すと29・7%。長生きできると思っている人は、3分の1以下なのです。

 この調査では「何歳から長生きだと思いますか」と聞いています。

 自由回答ではなく、5歳刻みの選択肢から1つを選ぶ形式になっていますが、一番多い回答は「80歳以上(〜84歳未満)」で42・3%、次が「85歳以上(〜90歳未満)」で20・0%。つまり、80歳超えが、一般の日本人が抱く長生きで、そこまで健康で暮らせればいいと願っていることがわかります。

 少しでも健康で長生きしたいと望むなら、明確な目的を持つことが大事です。長生きをした人々はほとんどが目的を持って生きていました。

 目的が明確になったら、次は常に「死に時」を視野に入れて生きることです。自分なりのゴールを決めること。そうすれば、たとえば同じ青い空を見ても格別美しく感じ、生きることへの愛しさが倍加します。
 そうして、健康への留意です。十分に睡眠を取り、偏った食事をせず、適度な運動をし、規則正しく暮らすことです。
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以上の記事に対して、5月21日時点で284件のコメントが寄せられておりましたが、ほとんどの方が、この記事に対して、肯定的に捉えております。

@ 私は仕事ができなくなったら死にたいです。母が70代前半で認知症を発症し、13年間患って人間の尊厳を失ったような状態で生きていたのは本人の本意ではなかったと思います。最後は脳梗塞でしたが、本人も延命治療は望んでいなかったので、私と妹はすべての治療をお断りしました。
昔みたいに、いえ、欧米みたいに口から食べ物が摂れなくなったら寿命と考えて、そこで余計な治療をしないで人生を終わらせるように、日本も早くそうなって欲しいです。
安楽死よりもまずそこを法制化してほしいです。

A 80過ぎの親戚のおじさんは癌が全身に転移して延命治療をはっきりと断って家で餓死した。
2か月ほどは普通とあまり変わらない生活をして、死期を悟ってから1カ月ほど何も食べないし最後の1週間ぐらいは水も飲まずボーとしながら無くなった。主治医もそのような餓死が一番楽な死に方ですと言っていた。
病院で全身管を繋がれて検査の日々は主治医も勧めないと言っていたし、例えば大腸ポリープの検査でも前日下剤飲んでお腹空にして検査してポリープ取ったところで80も超えていたら検査後の回復に何週間も掛かる。
メスを入れたらそれこそ元気に回復する前に亡くなってしまう。
最後の大切な時間を下らない検査や治療ほど空しいものはないわ。
それで数ヶ月寿命が伸びたところでほんと意味ないわ。

B 子供が一人前になるまでは死ねないと、頑張って働いて来ました。今、子供も親になったり 働いたりしていて親の務めは果たした気がします。これからは人に迷惑をかけないで生き、その時が来たら枯れるように自然に死にたいと思っています。そのため60代夫婦ですが、健康であるための検査は全てやめています。
気がついたら手遅れを目指しています。あとは痛みとか恐怖がなければ感謝であの世に行くつもりです

C 同感です。死ぬのが怖いのでは無く そこへ至るまでの痛み、苦しみが怖いので 緩和治療だけは望みます。

D 二人に一人がガンになる。私も一切検診を受けていません。5年生存率がどうのと、ステージ1でガンに心を支配され生きるより、知らずにのほほんと生きていきたい。

E 医師です。自分は長生きしたくないと言いながら、自分の親や祖父母が死ぬことを受け入れられない人が多いのが気になります。元気な時からどうやって最後の時を迎えたいのか家族で相談しておいてほしいと、外来患者には話しています。

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Aの方のコメントを読んだときは、私も、このようにしたいと思っていたところでしたし、何より良い主治医に恵まれ、幸せだったなぁと、思いました。やはり、多かれ少なかれ、同じようなことを皆さん感じていらっしゃるのだな、と思いましたが、最後の、医師の方のコメントも考えさせられますね。
まさに、冒頭でご紹介したご長男の方が、胃瘻を選択せざるを得なかったところに、問題が存在します。このような場合、お母様ご自身の言葉で、余計なことはしないでくれと予め意思表示があったなら、もう少し事態は違ったかもしれないように思います。
そこから自ずと、我々自身がどうすべきかとの答えが導かれてくるでしょう。
常日頃から、あらゆる場面を想定して、準備すべきであると痛感しました。


2019年 「5月の標語」

あなたたちが今日
「がんばったら報われる」と思えるのは
これまであなたたちの周囲の環境が
あなたたちを励まし 背を押し
手を持ってひきあげ やりとげたことを
評価してほめてくれたからこそです

――― 平成31年度東京大学入学式 上野千鶴子東京大学名誉教授祝辞

4月12日 東京大学入学式における上野千鶴子氏の祝辞が話題になっておりました。東京大学のウェブサイトを見ましたら、全文が掲載されておりました。長文ですが、先生の祝辞の意図を肌で感じ取って頂きたく、ほぼ全文をご紹介させて頂きます。
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ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学…」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が、成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。 (略)

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?(略)…誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。 (略)

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。
ようこそ、東京大学へ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この祝辞は東大の新入生を前にして述べられたものですが、お読み頂くと分かるように、世の中の全ての人々にも当てはまる内容になっていると思います。
皆様も恐らくご存知のように、僧侶の世界も、ほとんどが男性ということを前提にしており、今まで様々な場面で「やはり女だから?」と思い知らされることが少なからずありました。それでも、出家して20年以上経ちましたが、東京から誰一人身内のいない、ここ一宮の地に移り住み、これまで生かせて頂き、頑張ってこれたのは、ひとえに周りの人々のおかげです。「遠い親戚より近くの他人」と申しますが、本当に沢山の方に助けて頂き、今日があります。
この度の祝辞にありました通り、「周囲の環境が、私を励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してくれたからこそ」という事は間違いありません。

さらに、仏教界も激動の時代を迎え、江戸時代に築き上げられた檀家制度も400年近くを経過し、崩壊の瀬戸際まで来ております。
まさに我々を待ち受けているのは、これまでのセオリーが全く当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。
だからこそ、これからの世の中に必要なのは、これまで誰も見たことのない知を生み出すためのメタ知識を身に付けることだと、いう事も深く頷けます。
 最後に、この祝辞を通して、学生に対する(あるいは人間そのものに対する)上野先生の深い慈愛に胸が熱くなるのを覚えました。これからの時代を背負っていく若者たちを思えばこその慈しみに満ち溢れ、このような態度こそが彼らの背中を押すに違いないと痛感しました。

2019年 「4月の標語」

医は仁術なり
仁愛の心を本とし
人を救ふを以て志とすべし

――― 貝原益軒 『養生訓 巻第六 択医』

先月の標語は、お風呂場で亡くなったKさんのお話から始めました。その後、ご葬儀が続き、お寺の片付けなど行ったことを書きましたが、ご葬儀が続くという事は、それに伴って、お仏壇やお位牌、お墓のことなど、様々な事が続きます、他のご法事なども受けておりましたので、正直、1月から2月にかけて休む暇もなく、相当疲れがたまっておりました。

2月23日(土)午前中は仕事と、翌日の法事の準備で走り回り、正午を過ぎた頃から、シクシクとお腹が痛み出しました。
午後3時からヨガ教室を予定通り最後まですることが出来ました。大抵ヨガが終わると入浴し、6時過ぎから、猫たちを遊ばせて運動させ、ご飯をやるのが日課になっておりますが、6時30分頃から、突然の激しい吐き気が襲ってきました。その時、まず頭をよぎったのがKさんのことです。Kさんが、亡くなったのはお風呂場でしたが、死因は吐しゃ物が喉に詰まったこと、と御主人から伺っており、この位の強烈な吐き気なら、もしかしたら、喉に詰まるかもしれないと思いました。
仕方なく、タクシーに来てもらい、一番近い総合病院に連れて行ってもらいました。そこは先代住職が転んで左腕を骨折し動けなくなったとき、救急車で行った病院でした。その時は、酷い仕打ちを受けて、すぐに帰ってこざるをえませんでしたので、2度と行かないと決心しておりましたが、あまりの強い吐き気でしたし、タクシーに迷惑かけてもいけないので、ただ直ぐに着けるという理由だけで行ってもらいました。

土曜日の夜でしたから、救急外来は、大変混んでおりました。危ない予感は当たり、外来のソファーに座って呼ばれる順番を待っていた時に、いきなり吐いてしまいました。申し訳ないことにスタッフの方が掃除はして下さいましたが、身の置き所がない位辛かった私ですが、さらにしばらくそのまま放っておかれました。やっと中に入れて頂くと、ろくに問診も診察もせず、レントゲン等数か所の機械の部屋に連れて行かれ検査、検査、その後さらに造影剤を使ったレントゲン検査をし、その挙句に言われたことが、「腸の出口あたりがつまっている腸閉塞の疑い」、というものでした。聞いた途端、「それはない」と直感しました。

そして、胃や、小腸にかなり水が溜まって腫れたようになっているから、上から胃の内容物を抜くというのです。言われるまま、鼻から管を入れられ、胃まで降ろして一生懸命吸い上げようとするのですが、ほとんど出てきません。そのころには夜の10時も過ぎていて、翌日の法事のことが気がかりで、まず代わりの和尚様を頼み、責任役員さんに電話して、本堂に入ってもらい、お互いの携帯電話を片手にしながら法事の準備をして頂きました。その電話のこともあったのでしょうが、ドクターは私の胃に管を入れたまま、いつのまにかどこかへ行ってしまったのでした。そうしている内に、何の前触れもなく、いきなり、胃の内容物が突然吹き出し、下も突然、ほとんど出てしまったのです。上の方は、鼻から管が入っていて喉も鼻も狭くなっていましたから、吐しゃ物が喉や鼻からあふれ出て気道をふさぎ、危うく窒息しそうになりました。その事態に気づいた先生が慌てて飛んできて、鼻から管を抜きましたので、やっと呼吸ができるようになりました。窒息が怖くて大事を取って病院に行きましたのに、逆に本当に窒息しそうになるという、今思い出しても笑い話の様な事態が起きたのでした。
この時、何よりショックだったのは、鼻やのどに、吐いたものがへばりつき、つまっていると訴えましたら、看護師が、無表情にティッシュペーパーを渡して「鼻をかめば?」といったことでした。

着ているモノが全部汚れてしまったので、入院着に着替えさせられ、入院病棟に移されました。その晩は夜の間中、点滴をし、下の方は何度か出ましたが、朝には吐き気もおさまり、腹痛もほとんど取れておりました。

救急外来では、すぐ翌日にでも、「経鼻内視鏡補助下のイレウスチューブ(経鼻小腸管)挿入」をするという事でしたが、下からほとんど出てしまったので、緊急性はなさそうということで、翌月曜日にやると説明を受けました。
私としては、14,5年前にひどい胃腸風邪をやり、(この時は、ちなみに木曽川病院で完璧に適切な処置をして頂き、点滴してもらって帰宅しました)その時の症状とほとんど同じだったこと、お寺の6匹の猫たちのことが心配だったこと、前の晩からの、医師や看護師たちの態度や、やることなすことに不信感を持ってしまいましたので、こんなところにいたら不要な検査をされたり、下手すると殺されかねないと思いました。

「どうしても退院します」という私に対して、「明日検査が入っていると何度言ったらわかるんですか」と毒づいたり、上から目線で意地悪を言う看護師に対して、「私の自由意志です」と言って午後には退院して帰って来ました。その時は、別の病院に行くことを決めておりました。この時の看護師の意地悪な物言いに悲しくなりましたが、爪を伸ばしていることにも衝撃を受けました。実は、私の両親は医師で、私は両親が経営していた病院の中で育ちました。母は、患者さんに接する看護師が、爪を伸ばしていると「危ない」と、手を叩いて𠮟っておりました。
余分なことですが、両親のみならず、一族はほとんど医師です。私のみが、志を異にし、人生の半ばで僧侶の道を選びました。私自身も様々な病気を経験し、本当に多くの病院を受診してきましたから、面と向かっただけで、ほぼ、その医師のレベルが分かるようになりました。患者も様々です。それぞれの人間の背景に想いを致すことなく、上から一方的にものを言うなど、あまりに想像力と思いやりに欠けるのではないでしょうか?

「腸に癌が出来ていてそれが破裂したら命に係わる」とか、散々、不安をあおられましたから、翌月曜日、責任役員さんのお勧めで、上手いと評判の胃腸科専門クリニックに行き、診て頂きましたら「ウィルス性胃腸炎」との診断で、そこで初めて飲み薬など処方して頂き、やっと楽になりました。
「その検査やらなくてよかったですね」と先生も笑っておられました。私は20代に腸の手術を受けており、それが原因で、胃腸風邪をやると、普通より、症状がきつく出ることもあるという説明も受けました。
その二日後には、胃カメラの検査をして頂きましたが、何も問題はなかったものの、胃に無理に管をいれた時の傷が数か所赤く残っておりました。それを見た時、本当に憤りをおぼえました。翌週に今度は大腸カメラの検査をして頂きましたが、こちらも全く異常は見つかりませんでした。

今から10年ほど前、近所にその病院が出来た時は、11階建ての大きなきれいな建物で、駐車場も広く、非常に心強く思ったものですが、その程度が徐々に判明するにつれて、期待が大きかった分、失望は大きなものがあります。

「医は仁術なり 仁愛の心を本とし 人を救ふを以て志とすべし」とは貝原益軒の言葉です。
即ち「医は仁術」とは 医療行為は「仁」すなわち「思いやり」を持った行為でなくてはならず、その根本には、あらゆるものを慈しむ心を抱き、人を救わんとする志を存するべきである。という意味でありましょう。

今回、大きな病院に一晩滞在し、見聞きした中で、そのスタッフの人たちに、思いやりや慈しみの心を全く感じ取ることはできませんでした。極端に言うと、野戦病院の様な有様で、医療従事者に不可欠と思われる癒しの心が皆無であると感じました。病院の顔ともいうべき受付からして態度が酷過ぎました。

大きな病院は、一見、最新式の検査機械を導入し、それを使っていると、さも、最新の医療を受けているような気になるかもしれませんが、それを使う医師の志や、技量、人間性、医療のレベルがどのようなものか、見極めないと、逆に命取りになりかねないと、今回の体験で、身をもって感じました。

以上のようなことを、周りの方達に話しているうちに、その病院で妹さんが看護師をしているという方の話を聞きました。それによると、本当にひどい職場らしく、いつも辛そうに仕事に向かっているとのこと。さらに最近では、同僚で妊娠している方がいたらしいのですが、体調が悪いのにも関わらず、休ませてもらえず、流産してしまったなんてこともあったらしく…とのことでした。私が、見聞きしたことと符合しており、さもありなんと思います。だからこそ、患者に対しても、余裕のない態度を取るのでしょう。

あまりのことに、ほぼ上記の内容に加えて、最後に「地域医療の質の向上の為、善処して頂ければ幸いです。」と付記し、当該病院長宛に、苦情の手紙を書きましたが、今に至るまで、返事は頂けておりません。
この程度のことに一々反応できるほど、暇ではないのかも知れませんが、本当に最近の世の中全般的に、人間性の質の低下が著しいように思います。
私が愛してやまない一宮にある総合病院がこのような有り様では、ホントに悲しくなります。
皆さん、外見に惑わされず、よくよく、気を付けて病院は選びましょうね。(-_-;)

2019年 「3月の標語」

もし今日が
自分の人生最後の日だとしたら
今日やる予定のことを
私は本当にやりたいだろうか?

――― スティーブ・ジョブズ

昨年、年の瀬も押し迫った12月23日、Kさんのご主人から、Kさんがお風呂場で亡くなったとご連絡がありました。
次に、まだ年も明けて間もない14日、Hさんのお嬢さんから「父が亡くなった」と電話がありました。近所の人から新聞がポストに溜まっていると知らせがあり、実家に行ったところ、浴槽の中で、冷たくなっていた、とのことでした。
 Hさんのご葬儀を16日に勤めた2日後、今度は成福寺住職久馬慧忠師が亡くなったとの知らせを受け、教区寺院主体で22日、23日にご葬儀が執り行われました。

Hさんは年齢は丁度私より10歳上でしたが、私より元気な位で毎月境内の観音堂のお掃除や庭の草取りをして下さっておりました。年末の30日にいつもより丁寧に大掃除をして下さり、その時お話をしたのが、最後になってしまいました。
Hさんのご葬儀を始めるにあたり、まず初めにHさんに以下のように語りかけました。
「Hさん、先代住職のお葬式を手伝って下さるお約束をしていたのに、先に逝ってしまわれるなんて、お約束が違うじゃないですか。
でも、そんな愚痴を言っては申し訳ないほど、貴方は今まで長い間、お寺の為に、尽くして下さいました。
本当に有難うございました。何より、やっと貴方は最愛の奥様や、大切なお母様、戦争で亡くなった御父様に、再会できたのですから、私たちは、喜んで貴方を送り出さねばなりません。
別れは一時の事、私もまた貴方とお会いできる時を楽しみに待ちたいと思います。」
私のショックの大きさを想像して頂けますでしょうか?

実父は今年13回忌になりますが、父も亡くなったのはお風呂場でした。少し前の事になりますが、市内の大きな内科医院のI先生もお風呂場で亡くなりました。父も医者でしたが、他人の臨終は分かって、死亡宣告もするのに、自分の死ぬ瞬間が分からないものなのかと呆然とします。

入浴中に亡くなるのは全国的に最近増加しておりますが、原因の多くはヒートショックである可能性があるのでは?と言われております。(Kさんの死因は、ヒートショックではなかったようですが)
浴室やトイレは家の北側にあることが多く、冬場の入浴では、暖かい居間から寒い風呂場へ移動するため、脱衣場では血管が縮み、血圧が上がります。次に浴槽につかると血管が広がって急に血圧が下がり、血圧が何回も変動することになります。こうした血圧の変動が心臓に負担をかけ、心筋梗塞や脳卒中の原因につながるようなのです。
ヒートショックの予防のため、脱衣場や洗い場を暖めること、入浴は40度未満のぬるめのお湯に入り、長湯を避けた方が良いようです。さらに、深夜ではなく、早めの時間に入浴するように心がけ、心臓病や高血圧の人には半身浴が推奨されております。

 厚生労働省が公表したデータによると、年間おおよそ2万人もの方が浴室で死亡しているとのことです。交通事故と比較するとなんと約4倍です。
(出典:厚生労働科学研究費補助金 「入浴関連事故の実態把握及び予防対策に関する研究」 平成25年度 総括・分担研究報告書 研究 代表者 堀進悟
私の身近で交通事故で亡くなった方はいませんが、お風呂場でという方は、上記に記した通りですので、この数字は、実感を伴って、迫って参ります。

お風呂場で入浴中に亡くなった方々は、疲れを癒そうと、ゆっくり浸かっていたはずです。その日がまさか自分の人生の最後の日になると予想もせず…

今月の標語はアップルの創設者であるスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業祝賀スピーチで述べた言葉です。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら 今日やる予定のことを 私は本当にやりたいだろうか?」
ジョブズは人生を左右する重大な決断に迫られたとき、この言葉を手がかりとして決断を下してきたそうです。
もし今日が自分の人生最後の日だとしたら…と頭で想像しても、なかなか本気にはなれないものだと思います。

ただ、ここまで、今まで元気だった方の急死のご葬儀が続きますと、さすがに私も、スイッチが入ってしまいました。
現在、世界でメジャーになられた整理整頓アドバイザー近藤 麻理恵さんは、片づけの時、そのものにときめきを感じるか否かを基準にするそうですが、この歳になりますと、ときめきどころか、物を見た時「これを残して、今私が死んだら、後片付けをする人が大変?とか、これは誰々さんなら使ってもらえそう?とかそのようなことを考えてしまいます。
亡くなられた方々に背中を押されるように、夢中で片付けながら、かなりのものを処分し、特に台所など目に見えてスッキリしました。

その結果、今現在の生活が何で成り立っているのか、これからどうしたいのか、どう終わりを迎えるべきなのかが、はっきりしてきて、人間関係までよりクリアに見えるようになってきました。

一例のみ申しますと、本堂を建て直して頂いた平成18年(13年前)当時は、せっかく、建物を綺麗にして頂いたのだからと、お寺の前庭にあれこれ木や花を植え、ごちゃごちゃと植えすぎてしまいました。当時は本堂がきれいになった分、逆に人間関係では、面倒くさい事案が多々起こり、今思い返しても、恐らく、心の隙間を埋めようとしていたのかも知れません。
物置に当時買った大きいプランターが沢山ありましたが、今回それらを処分することで、物置のスペースが広くなり、本堂や庫裡のモノの片付けがスムーズに行き始めました。

「断捨離」と聞くと、モノを捨てる!(モッタイナイ)と思う方も多いかもしれませんが、実際には本当に必要な人や物が徐々に選別されてきて、自身に対する気づきも増え、余分なものを買わなくて済むようになるように思います。

是非、貴方も、「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら」と仮定して(いや、仮定ではなくその日は誰にでも、確実にやってくるのですから)身の回りのものを見直してみることをお勧めしたいと思います。

2019年 「2月の標語」

人は生まれながら
100人の名医
(自然治癒力)
を持っている

――― ヒポクラテス

現在、常宿寺には猫が6匹いますが、2015年「9月の標語」で、怪我でパニックになっていた時、私の夢枕に立った空(くう)ちゃんのことを取り上げました。
幸いなことに、ウチの猫たちは捨て猫出身のせいか、皆、今まではとても健康で、怪我以外ではほとんどお医者様にかかることはありませんでした。
 昨年、11月頃から、何となく空ちゃんの調子があまりよくないのかな?と案じていたところ、12月17日の夜ご飯から、全くご飯を食べなくなってしまいました。獣医さんに連れて行き、採血やエコー検査など必要な検査を全てやって頂いたところ、思いもよらず肝臓の状態が非常に悪いと診断されてしまいました(GPT557、GOT209)
 食べられないということで胃腸薬と、肝機能を良くするサプリメントを処方して下さいましたが、とてもそのようなものでは効き目がないことは明白でしたし、さらに最悪なのは食べないので食べ物に薬を混ぜて飲ませることもできず、薬のままではどうやっても飲ませる事が出来なかったので、服薬は数日で断念せざるをえませんでした。
 人間の場合でしたら、食事を全くとることができなくなれば、入院して点滴するということになるでしょうが、動物を飼っていらっしゃるかたはお分かりと思いますが、彼らは何よりも病院が嫌いです。
家から離れて入院にでもなったら、それだけでも捨てられたと勘違いしてパニックになり、身心に相当なダメージになることは間違いありません。一昨年17歳で亡くなった花子の場合も家で出来る限りのことをしてやり、なるべく、彼女に苦痛にならない過ごし方をさせてやるしかないと決め、じっと我慢の日々でした。もし、それが寿命ならば、余計なことをしない方が、彼女の苦痛を最小限に収めることができるという考えでした。
空ちゃんを3階建てのゲージに入れ、周りをビニールで覆い、安静に出来るよう、隔離病棟にしました。水だけはちゃんと飲んで、おしっこも毎日一回はしていましたが、非常に黄色く、黄疸が出ていることもわかりました。
実は、私も、20代に、酷い急性肝炎を患ったことがあり、何を見ても食欲がわかないという経験がありましたので、空ちゃんの状態が身に染みる程伝わってきました。
食べなくなって5,6日目くらいは、空ちゃんより恐らく私の方が絶不調で、周りから「どうかしましたか」と、心配して聞かれるくらいになりました。25日には、遠方での葬儀も入り、帰ってきて死んでいたらどうしよう、と心配しながら仕事に出ておりました。ただ、以前にも書きましたが、空ちゃんは私に対する想いの強い子ですので、本当に死に瀕したときには、必ず私のところに助けを求めに来るだろうと思っておりました。
食べなくなってからも、他の子にご飯を食べさせる時、必ず、彼女にも見せて、それを食べないという事を繰り返しておりました。
そうこうしております内、27日の夜、ウチの子が皆好きな「ちゅーる」を舐めさせたところ、ナント、舐めたのです。その時は、私の方が泣きそうになりました。それで急いで「ちゅーる」を1本器に入れると全部食べたのです!!なんと完全に絶食の状態になってからピッタリ10日目のことでした!!!
その晩は少しずつ間をおいて、「ちゅーる」を更に2本食べることが出来ました。

当初は、半信半疑でしたが、翌日から普通の食事も徐々にとれるようになり、お正月が明けるころには、食事の量も元通りになり、元気に動き回れるようになりました。

彼女が食べなくなって10日間、彼女の周りを綺麗にしたり、安静に出来るよう環境を整えて、さすったり、「大好きだよ、可愛いよ」と言葉を掛け続けたりはしましたが、医学的なサポートは何一つ出来ませんでした。
つまり、彼女は自然に治ったという事になります。このことを、世の中では自然治癒と呼ぶのでしょうか?

「病気は神(自然治癒力)が治し、医者はその代金をとる」という諺があるそうですが、ヒポクラテスは「人は誰でも100人の名医(自然治癒力)を持っている。医者はその手助けにすぎない」と諭しています。
2500年前、古代ギリシャの医学の父と崇められている「医聖ヒポクラテス」は(古代ギリシャ紀元前460〜357の医者)原始的な医学から呪術や迷信を切り離し、人に元々備わる「自然治癒力」を医療の基本として「患者に利すると思う治療を選択し、害と知る治療を決して選択しない」、「まずは害することなかれ」と説いたそうです。
この「自然治癒力」と呼ばれるものは、さまざまな生き物が生まれながらにして備えているもので、これらは「自己再生機能」、「自己防衛機能」という「二つの機能」を合わせ持っています。

空ちゃんが10日間の絶食で、完全に治癒しましたので、絶食療法について調べてみたところ、24年間苦しんだ鼻炎が4日間の断食で治り、断食オタクになったという鍼灸師中村ひろきさんのブログの中に以下のような記事を発見しました。

それによりますと、6000年前に建てられたピラミッドの碑文に「われわれは食べる量の4分の1で生き、4分の3は医者のために食べる。」と刻まれていたそうです。

つまり、「少食こそ健康の源であり、食べ過ぎは医者を儲けさせるだけだ」と。
おそらく、古代エジプトで食べ物に困らなかった上流階級向けの注意書きなのでしょう。
そして、当時の上流階級と同じ食生活を送っているのが、なにを隠そう現代人なのです。

さらに調べていくと、暴飲暴食の害や断食の必要性を説いているのはエジプトだけではありませんでした。
「断食で治らない病気は、医者でも治せない」(ドイツのことわざ)
このことわざが現代医学の基礎を築き上げたドイツで存在するのはかなり意外でした。
逆を言えば「過食は医者の養分になるだけ」といったところでしょうか。
まさにエジプトの碑文と同じことを言っていますね。

「断食はメスを使わない手術である」(フランスのことわざ)
ぼくは痛いことと怖いことは大嫌いなので、身体にメスを入れないためなら暴飲暴食を断じてしない自信があります。

「断食は哲学の門である」(ソクラテス)
ソクラテスやプラトンなどの古代ギリシャ哲学者は、弟子に断食指導を行い、自身も定期的に断食していたようです。

「病気は祈りと断食で治しなさい」(キリスト)
数年前に宗教家の患者さんがあったのですが、奥様に「祈れば治る」と言われて治療を受けさせてもらえず、結局亡くなられました。
イエス・キリストに言わせれば、あの糖尿病の患者さんに足りなかったのは断食だったかもしれません。

「暴食の罪を犯した者は、地獄でヒキガエルや害虫を無理矢理食べさせられる罰を受けるだろう」(イタリアの詩人)「神曲」で有名なダンテが遺したと伝えられている言葉です。
イタリアでは今でも「不倫」よりも「暴飲暴食」のほうが、罪の意識が大きく、体型を気にせずに生きることこそ恥ずべきことのようです。さすが美意識の高いイタリアですね!
(https://travelife100.com/egypt より引用 )

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私は、食事は朝食のみで、昼時は豆乳と果物位で済ませ、午後1時以降から翌朝の7時の朝食までおよそ18時間は食物を口にしません。こういうのをプチ断食というのだそうですが、もう10年以上風邪をひいたことさえありません。
「われわれは食べる量の4分の1で生き、4分の3は医者のために食べる。」とは、まさに本当のことだと実感しています(笑)
今はまた、空ちゃんのコバルトブルーの美しい瞳にじっと見つめられる幸せに浸っています。(=^・^=)

2019年 「1月の標語」

常識とは
この世でもっとも広く分配されている
日用品である

――― デカルト

12月16日午後8時半ごろ、札幌市豊平区平岸の雑居ビルで52人が重軽傷を負った爆発事故が起きました。当初の報道では居酒屋が爆発したとの見方がありましたが、時間の経過とともに、どうやら、爆発したのは、居酒屋の隣にあった「アパマンショップ平岸駅前店」であったことが分かってきました。
 この爆発事故で、「アパマンショップ平岸駅前店」を運営する「アパマンショップリーシング北海道」の佐藤大生社長(39)が18日夕、会見、謝罪し、頭を下げました。
当時、店内には消臭スプレー缶が240本あり、廃棄予定の120本を机の上に並べ、ガス抜きしていたとのこと。消臭スプレー缶120本は未使用品。(はじめは160本と報道されていましたが、現場検証の結果、240本だったことが判明!!)
そのガス抜きを従業員が行ったことをどう受け止めるか?と聞かれ、佐藤社長は「正直なところを言うと、驚きました。なぜ、そのようなことをしてしまったのか。通常は考えられないこと。それも店舗の中で120本を散布したということは、通常は考えられないこと。通常であれば、やるべき仕事ではない」と率直な心境を語りました。
事故当時、店舗にいたのは店長(33)1人、社員1人。佐藤社長によると、ガス抜きは店長1人で行い、社員は別の仕事をしていたといいます。店長と社員は顔全体に火傷を負いました。
 事故直後の現場の映像を見ると、アパマンの店舗は粉々で、よくこの規模の事故で、死者が出なかったと思わせるくらい凄まじいものでした。

何軒かお月参りに伺った時に、この話題が出ましたが、皆さんが言われることは一様に「120本もスプレー缶のガス抜きを、一度に、しかも室内で、とは常識では考えられない。」というものでした。

今、これを読んでいて下さる貴方もきっとそう思っていらっしゃるでしょう。
ただ、大変残念なことに、これをやってしまった33歳のアパマンの店長さんにとっては、これが常識ではなかった様なのです。(-_-;)
話題は、全く変わりますが、
最近、私が、衝撃を受けた一例をご報告しますと、坐禅の後のお茶の時間に、私が得度式を挙げて頂いた、泉岳寺の話が出た時、20代半ばの参禅者の男性が、泉岳寺を知らないというのです。ということは「赤穂浪士」とか「討ち入り事件」も知らない?と聞きますと、うなずくので、本当に倒れそうになる位、驚きました。

衝撃があまりに大きかったので、若者たちの意識調査みたいなものを少し調べてみましたが、ナント「終戦記念日を答えられない若者たちに驚き… 平和ボケは日本全体に蔓延しているのか?」という記事を発見してしまい、更に打ちのめされてしまいました。(-_-;

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「若者100人にアンケート調査、終戦記念日を「知らない」と答えた人が過半数を超す」
https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/815-syusen_a_23509090/ (2018年8月25日)
8月12日放送のAbemaTV『千原ジュニアのキング・オブ・ディベート』で、元防衛大臣の中谷元・衆議院議員を迎え、日本人の”平和ボケ”について議論した。

 番組ではまず、渋谷で平成生まれの若者100人にアンケート調査。8月15日の終戦記念日について「それは常識ですよ」「日本国民なら覚えておくべき」という人がいた一方、「何月頃かもわからない」「10月?」など、「知らない」と答えた人が54人と過半数を(◎_◎;)占める結果になった。

さらに「日本で戦争は起こる」と感じていると答えたのは41人だった一方、もし戦争が起きたら「逃げたい。ヨーロッパとか」「貯金を全部使い果たして楽しく過ごして死にたい」「美味しいものを食べて、竹内涼真に会いに行く」「攻めてきたらすぐ降参してほしい。植民地になってもいい」といった回答も見られた。

中谷氏は「こういう時代であるということは幸せだとは思うが、平和のルーツや、なぜ平和が大事なのかということを知らないと危ういなと思う。私でさえ戦後生まれなので、直接体験はしていない。でも、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの世代に戦争があって、日本だけでも300万人以上が亡くなっている。国としても、それを風化させてはいけないということで『戦没者慰霊式』を始めた。ただ、学校では教えてくれない。歴史の授業はだいたい明治時代くらいで終わってしまう。特に勉強してもらいたいのは、なぜ戦争になってしまったのか。そして戦争が終わる時にどんな苦労があったのか。8月15日の1週間くらい前から降伏に向けた会議が開かれ、14日にポツダム宣言の受け入れが連合国に伝えられている。そして正式には9月2日にミズーリ号で降伏文書に調印した。さらに厳密に言えば、6年後に受け入れたサンフランシスコ講和条約に”終戦”という言葉が書かれていて、これが昭和27年4月28日発効したときが本当の意味での終戦だ。様々な経緯があったことをみなさんに勉強していただきたい」と話した。
(中略)
一方、現役大学生で株式会社GNEX代表取締役の三上洋一郎氏は「若い人のことがよく指摘されるが、安全保障の問題で現実的ではない人はむしろ年配の方に多い。思い出してほしいのは、東京都知事選のとき、ある元ジャーナリストの候補者がテレビ番組で『どこの国が攻めてくるんですか』ということを言った。これだけ東アジア情勢も緊迫化しているのに。ただ、”植民地になってもOK”みたいな考え方は良くない。自分の権利が侵害されてもいいと言ってしまうのは、歴史に対する無知さからくるもの」と指摘した。

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とにかく、めまいを覚える程驚くことばかりですが、デカルトによれば、常識というのは、日用品レベルで必要とされるモノ、という事のようです。スプレー缶は恐らくどのご家庭にもあり、日用品と言えると思いますので、その危険性については、少なくとも常識として、認識する必要があると思います。

私がLondon滞在中、フツウの英国人に「日本は長い間、鎖国をしていたのに、なぜ短期間に近代化し、最強国の一員のなれたのか」と聞かれたことがあります。これを読んでいるアナタ、フツウに会話している中でガイジンに突然こう聞かれたらどのように答えますか?
欧米の方と話していると、自国の歴史や、政治経済については、当然知っているモノという態度で話題を振られることが結構ありますので、あまりにも無知、無関心な日本人は彼らから見れば幼稚な印象を持たれるのでは?と危惧しています。

先日、「2018年の訪日外国人数が12月18日時点で初めて3000万人を突破」というニュースも耳にしましたが、まだまだ、日本人にとっては、外国人は珍しいものであり、実感として、日本人としてのアイデンティティーを努力して維持しなければならない必要性がないので、学ぶ気もないように思います。
 逆に、国旗や国歌など、持ち出すだけで「右翼か?」と、白い目でみられ、危険に思われる風潮では、自国について学ぶ必要がないと思っている若者のほうが増えてきている印象を持ちます。
このような有様では、日本人はますます「井の中の蛙」になっていくのではないでしょうか?

無知でも構わない、植民地になっても良い、などと開き直られたら、もうどうしようもないわけで…(-_-;)
近い将来、「日本」という国自体が雲散霧消したりして…ということが杞憂に終わることを祈るばかりです。

 と、このように嘆いているうちに2019年で平成も終わる訳ですが、昭和生まれの我々が明治生まれの方を、ひと昔前という風に認識したように、これからは「昭和生まれ」も化石と同じ扱いになるのだと。。。暗澹たる気持ちになります(´;ω;`)ウゥゥ
なんか年の始めから暗い話で申し訳ありませんm(__)m

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